TTWAさんの思考成果物置き場

健やかな26歳男性が考えたことについて、ふんだんに主観と詭弁と出任せを交えて適当になぐり書きします。真に受けないでください。

note「呪いが解ける日」を読んで

※このブログは日頃文章にロクに触れていない人間が哲学を修めていないのに哲学っぽいことを語ったり心理学を修めていないのに人の行動心理っぽいことを語ったりする詭弁満載ファンタジーブログです。以下の「はじめに」を読んでご理解いただけた方のみ鼻でもほじりながら読んでください。

https://ttwa.hatenablog.com/entry/2019/09/04/210153

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どうも、TTWAです。

仕事の合間のタバコ休憩中、Twitterを見ているとこんな記事を見つけたんです。

note.com


これを読んだ瞬間、急に背筋が解きほぐされて指先まではっきりと血が巡るような、脳内にある霧がスッと晴れていくような、そんな気持ちになったんです。
あまりの衝撃に、しばらく仕事に身が入らなくなってしまった。それくらい思考的にいてもたってもいられない様子になったので、ここに備忘録的な感想を残します。当然のごとく上述記事を読んだ前提で話を進めるので、まだ読んでいない人は是非。

マジで言葉にできないような原初的な感覚を推敲せずに全部書いてます。とりとめがなくても許して。備忘録だもの。
また、今回は4150字程度の記事なっております。


○「呪い」ってなんだろう
記事にも書かれているある番組に寄せられた投稿では、母親の放った一言が「呪い」と表現されていました。
この「呪い」というものは一体どういうものなのでしょう。
この後の個人的感想を語るために個人的な呪いの定義を述べれば、生きる上で足枷のように歩みを邪魔する「呪い」というものは、例えば「固定観念」とか「トラウマ」といった言葉で表されるものだと思います。
職場の嫌な上司のような外力的な存在というよりは、内的に自らの動きを制限するようなものです。
実際にそこについている足枷というよりは、まさに足枷"のように"心の内側から纏わりついてくるものというイメージです。
これに対して、人々は日々目を逸らしてみたり、呪いにただ漠然と絶望してみたり、呪いを振り払おうと足掻いてみたりするわけです。
僕自身も程度の大きさはあれど僕のかかっている"呪い"に対して、日々恨み、怯え、もがきながら生きています。
特に最近は色々なきっかけでこの呪いに絶望する日々から、何とか抜け出そうと足掻いて、そのなかでずっと精神が苦しいという日々を過ごしていました。
そんな中でこの記事は、ものすごくシンプルで、そして力を持った一言で、たった一言で、この苦しみのなかに一筋の光を照らしたんです。


○シンプルで力を持った言葉とは
もととなった記事はすでに読まれたかと思いますが、その一言はまさに「これをもって呪いは解けたということで。」です。
これほどまでにシンプルで、優しくて、力強くて、温かい言葉は他にないんじゃないでしょうか。
心の底にずっとこびりついているこの呪いを、こうもたやすく溶かしてしまう言葉を僕は知りません。
何がいいって、これは個人的な感想なんですが、「呪いを消してしまう」ところなんですよね。
多くの場合は、ある呪いに対して「こう解決すればいいよ」だとか「そんな呪い気にしなきゃいい」と、関心を貫くにしろ無関心を貫くにしろ、「そこに呪いは確かに存在している」ということを黙認しているんです。
呪いから目をそらすのも、目をそらす対象がいるからこそできるわけで、無視しているだけで確かにそこにいるんです。
この「呪いがあること」そのものを否定して開放する点で、この博多大吉さんの一言は、ものすごい力を持っていると感じたのです。


○呪いをかけているのは誰?
人は過去に起こった様々な出来事に影響されて、呪いにかかるのではと思います。
例えば両親からの扱いであったり、いじめであったり、人間関係の失敗だったり、どうしようもないコンプレックスであったり。
そういった様々なことがキッカケで人は気を落ち込ませ、その落ち込みがいつしか呪いになっていくのだと思います。

しかしながら、呪いだと感じたその頃には、実はその状況を脱している場合がほとんどだったりします。
例えば中学生時代にいじめを受けていて大人になっても「自分は虐げられて生きる人生だ」と思っている人のことを考えましょう。
勿論その人の当時負った心の傷の深さが計り知れないものであり今でも蔑ろにしてはならないことは承前ですが、そのいじめられていた当時に気を落ち込ませた原因はまさにそこにいるいじめっ子からの迫害であったにしても、大人になった今そのような人はすでに身の回りから離れており、そこにはいない。
そうであるにもかかわらず、その経験はいつしか呪いに変容し、「お前はこのような人間だ」「お前は所詮この程度だ」と牙を剥いて私達に襲いかかってきます。
この「呪いへの変容」の正体は、僕が思うに、"私"の受け取り方や"私"の思考習慣にほかならないと思うのです。
言い換えると、その憎悪の種を蒔いた人間が離れてもなお自らを土壌に憎悪を育てる自分自身が、呪いをかけている人間の正体に思えてならないのです。


○呪いの正体と、「ことにする」ことの重要性
ここまでで述べたように、僕個人の意見ではありますが、呪いの正体というのはある事象に対して"私"が行う定義づけなのです。
外側から貼られたレッテルを丁寧に剥がれないように扱っているのは実は自分自身だったりするのです。
呪いというものは目の前にいじめっ子がいるという実像を伴った足枷ではなく、自分自身がついている"と思っている"虚像の足枷なのです。
これに気づかずにひたすら外側を恨み続ける人もいれば、これに気付いて自らを変えようともがき続ける人もいます。
しかし、この虚像の足枷から目をそらすにしろ直視して立ち向かうにしろ、何か呪いへのアクションを起こすには「呪いの足枷がそこにあること」を前提としなければなりません。
呪いから開放されたいのに、「呪いがそこにあること」を常に前提として置き続けなければならない。
呪いをかけるのは自分自身である以上、呪いを前提として呪いと共に動くことは、実は自らにより強く呪いをかけている行為に他ならない。
そういった自己矛盾というか、負のスパイラルのようなものが発生してしまいます。

このスパイラルを脱却する最強の手段こそが、今回出てきた「これをもって呪いは解けたということで」なのだと思っています。
「呪いから目をそらす」でも「呪いに立ち向かう」でもなく、「呪いは解けたということにする」。
それって目をそらすことと何が違うの?と思われるかもしれませんが、目をそらすのは呪いがいない方向を向くのに対して、「解けたことにする」のは自らの見る方向は変えずに目の前の呪いがいなくなったことにしている点で大きく違います。
目をそらしてもふと振り返れば呪いがいる、立ち向かっても目の前には呪いがいる、この問題を一気に「解けたことにする」ことで解決するこの一言は、なんとすごいことなのでしょう。
先程も述べたように呪いの正体は「今実際にある実像を伴った状況」ではなく「自分の内側から発生した虚像」である以上、現状を打破する方法は実像を壊すことではなくて虚像を打ち消すことです。
そしてその虚像は自分自身が内側から定義づけることで発生している以上、内側にある定義を塗り替えることでしか解決し得ないのです。
つまり、「呪いと戦う」のではなく「呪いは解けたと定義する」ことが、最もこの虚像を優しく取り除く最適な手段なのです。
その点で、この「呪いは解けたということにする」のはものすごいのです。

また、「解けたことにする」ことのもう一つのすごいところは、「決して呪いを否定しないこと」です。
一度呪いにかかっていた自分自身を受け止めて、呪いにかかっていた過去を否定せず、今の自分から呪いを取り去っていく力がこの言葉にはあります。
多くの場合、呪いへのカウンターアクションは呪いやそれを伴った自分自身を否定することを起点とします。
その結果、それが自己否定に結びついて自己肯定感を削いでしまったり気を病んでしまったりするのではと思います。
だからこそ、過去を否定せず優しく包み込んで、足枷を優しく外す「呪いは解けたということにする」という言葉はとても前向きに輝くのではと思います。


○おわりに
今回めちゃくちゃ衝動的にドバーーーーっと文章を書いたので、めちゃくちゃ支離滅裂な気がします。いつものことなのだろうけど。

最後にですが、「呪いは解けたことにする」というのは、自己の中で完結させるのはやはりとてもむずかしいものです。
なぜなら、解けたことにすることと直視しないことが混同してしまう可能性があるからです。
だからこそ、こういう時に「優しい他人」という存在が大切になるのだろうと思います。外側から貼り付けられたレッテルを剥がすには、やはり外側からの力を借りなければ難しい。
しっかりと呪いの方を向きながら、そうした身の回りの優しい手を借りて霧を晴らす。今回紹介した記事の博多大吉さん、あるいはそれを素晴らしい文章で拡散したnoteの著者さんは、その外側からの優しく強い力を持っているのだなとも思います。

自分の中にある呪いも、この「呪いは解けたということにする」という言葉を知ってこのブログ記事を書きながら思考を取り留めもなく綴ることで、「解けたことになった」のではないかと思います。
この呪いの霧が晴れた景色は想像以上にクリアで戸惑ってはいますが、この景色を忘れずこの景色を愛して生きていきたいと思うばかりです。
次は誰かの呪いを優しく取り除ける、そんな素敵な人間になれるように。