TTWAさんの思考成果物置き場

健やかな26歳男性が考えたことについて、ふんだんに主観と詭弁と出任せを交えて適当になぐり書きします。真に受けないでください。

"CLIMAX"という映画を観ました(ネタバレ含)

 ※このブログは日頃文章にロクに触れていない人間が哲学を修めていないのに哲学っぽいことを語ったり心理学を修めていないのに人の行動心理っぽいことを語ったりする詭弁満載ファンタジーブログです。以下の「はじめに」を読んでご理解いただけた方のみ鼻でもほじりながら読んでください。

https://ttwa.hatenablog.com/entry/2019/09/04/210153

 

 

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どうも、TTWAです。

 

Twitterなどでチラチラと話題に挙がっている"CLIMAX"という映画を観ました。

http://climax-movie.jp/

 

友人たちは口を揃えてトリップ映画と言っていたり、ストーリー自体も山奥の小屋に集まってショーの練習をしていた22人のダンサーたちが、最終日の打ち上げパーティーで用意された"LSD入サングリア"によって徐々に崩壊していく…みたいなストーリーだったりと、結構な奇抜さを備えた映画。

あと僕は日頃映画を本当に観ない人(具体的に言えばこの10年で映画館に行ったのは2回だけ(CLIMAXとボヘミアン・ラプソディ)だし、家で観た映画も逆襲のシャアF91コマンドー(吹替版)くらいのもの)なのでよく知らないのですが、監督はかなり賛否分かれる過激な作品をつくることで有名なギャスパー・ノエという人だそう。まぁ僕はマジでこの人の他の作品を含め大抵の映画を観たこともないので、そういう映画批評的な話は何もできん。

ひとりの、ちょっとだけセックス・ドラッグ・バイオレンスな世界をドン引きせずに眺められてしまう人の、批評や考察ではなく、とりとめのない感想文です。

 

そんなわけで、少々のネタバレも交えながらやっていきましょう。

今回は記事全体で約4700文字。書いて疲れたから推敲はしてないので誤字があっても笑って許してね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

○冒頭のシーン

悲鳴とも笑いとも取れるような叫び声を上げながら雪の中を這う血まみれの女性、明らかに悲劇の末に斃れてしまった人のようで、これから起こる惨劇がどんなものなのかというピリっとした恐怖を与えられる。ここでまさかのクレジットが入り、すでに映画はさながらバッドエンドのエンドロール状態。今思うと「ある一人の結末」を描いたうえでエンドロール流してるから、物語の時系列的には一番最後なんだよな、あのシーン。

 

○インタビューシーン

舞台は急に転換して、今回の主役になる22人のダンサーのインタビューシーンへ。それぞれの持つダンスへの想いから野心、人生観、暴力、セクシャリティ、ドラッグの話まで、各人の持つ内に秘めた感情や狂気やを淡々と見せられる。

ぶっちゃけ登場する人間の数が多すぎて全員の顔と名前を一致させることは僕はできなかったんだけど、多分「そういう人たちの集まりである」ことだけ念頭に置いておけば、あとはいいかなと思う。

それにしても淡々と当然のようにドラッグやら過去の暴力やらの話をインタビュー中にしているのを今になって思い返すと、多分同じような狂気を孕んだうえで素知らぬ顔で生きている人って、意外と世の中沢山いるのかな、なんて。

仮にその狂いがドラッグや暴力のような違法なものでないにしろ、ね。

 

○ダンスシーン1

山奥の廃墟をベースにした建物でダンスパフォーマンスの練習をするシーン。

ここは素直に凄まじいパフォーマンス。

実際キャスティングは一部除いて演技経験もないダンサーを起用しているというだけあって、ものすごいパフォーマンス。アイドルグループのような全員が一致団結して踊ると言うよりは、強すぎる個性を持ったダンサーたちが水と油のように混じらず、しかし共存してひとつの混沌とした芸術を極めている感じ。

インタビューシーンでもあったような決して「皆で頑張ります!」みたいな協調性よりもそれぞれの野心や人間性の違いが強調されていたことを、ダンスを通じて見せられた感覚。

そして何より、彼らは狂人の集合体ではなく飽くまでダンサーの集まりであることも、ここで認識させられたり。普通の人なんですよ。ドラッグ経験者や暴力経験者がいるだけで。彼らは狂おうとして狂うわけでない。

 

○会話シーン

執拗に細切れに、そこそこ長い時間、誰かと誰かの会話がずっと流れている。

基本的にはずっとセックスの話。誰とヤりてぇとか誰とヤったとかスキャンダラスな話とかセクシャリティな話とか、そういう下品で欲望的な側面をゆっくりと脳に装填されていく感覚。裏を返せばずっと起伏が無いのである意味退屈なシーンでもあるんだけど(実際僕も途中で何見せられてんだろ…ってなった)、今思うとそういう欲望や狂気に対して少しずつ準備運動をさせられているというか、離陸前のシートベルトというか、そういう感じだったのかなという気もする。

このシーンがなければ、このあとの地獄のフライトは事故死していたのでしょう。

 

○ダンスシーン2

カメラアングルが目まぐるしく変化したダンスシーン1と異なり、ダンサーが作ったサークルの中でダンサーが即興で踊る姿を真上アングルから捉え続けるシーン。

これもまた結構長いシーンで、真上アングルで天地感を少しずつ奪われ、流れ続ける音楽に脳を希釈されながら、パーティーの熱狂に没入していく感じ。

さっきの会話シーンがシートベルト着用のアナウンスなら、このシーンはこの後のバッドトリップ飛行に向けて、滑走路を走り出したようなものと言えるだろうか。

 

○そして舞台は混沌へ…

ちょっとハイになりすぎている、何かがおかしい、そう湧き立つダンサーたち。

何か薬物が、LSDか何かをサングリアに混ぜられたのではないかという疑念が徐々に表れ、次第に誰かが誰かを疑い始めて犯人探しになったり錯乱したり暴力が起こったりそんなのに構わずに踊り続けたりという狂気の世界へ。

このシーンに来る頃には脳はしっかりと音楽で麻痺させられて、シートベルト着用で無事に離陸に成功した状態なので、狂気がダイレクトに脳を直撃するには最高のコンディション。

混乱と混沌とビートのなかで、ドラッグの作用や疑心に悶える人の悲鳴を常にどこかで聴きながら、色々なダンサーの視点に目まぐるしく遷移し続けつつ、全員に逃げられない狂気がやってきていることを教えてくれる。

徐々に理性や知性が崩壊して、崩壊しているからこそ理知的に認識できない、本能的な狂気を頭にドバドバと流し込まれる。

錯乱していく末で男女、男男、女女問わずラブシーンが起こり、暴力が起こり、最後には常に誰かの背中を追いかけていたカメラアングルも天地も何も意味がわからないものになり、字幕も上下逆さに登場し、暗闇と赤い照明、ビートは鳴り続け、人が狂い、悲鳴、暗闇、赤い照明、セックス、ビート、暗闇、暴力、セックス、赤、狂い、悲鳴、ビート、ビート、

 

○ラストシーン

翌朝警察官がやってきた頃には、廃墟は地獄の燃えた後。

死んだ者、昏倒する者、眠る者、朝になってもなお踊り続ける者、意識を持って朝を迎えられた者、狂った末に雪の積もる外に飛び出した者(これが多分、冒頭の人)。

そして最後に、LSDに関する本とかの横で、目薬をさす一人のダンサー…

エンドロールは冒頭にやってしまったので、ここで映画自体が終了。

よくあるエンドロールでNGシーン集みたいな現実に戻るためのバッファがあればいいんだけど、そんな救済は与えてくれない。

無事に1分くらいは椅子から動けず、ただため息を漏らしていましたとさ。

 

○総評

理性をとことんまで溶かした脳に本能と狂気をドバドバ注がれてバッドトリップしていく、まさに観るドラッグ。見終わってから暫く明かりがやけに眩しく感じたり、やけに手指の動きや周りの音に敏感になったり、トリップの余韻が暫く消えない鮮烈さ。

物語の面でも、LSDというものが狂わせたとはいえ、怪奇現象や殺人鬼のようなあらかじめ用意された狂人なしに飽くまでも人間が人間らしい側面を持って堕ちていく様は、きっと誰しもがどこかに持っていて否定することもできずただ受け入れるしかない狂気があることをありありと見せつけられる。

 

個人的に驚いたことは、セックスがかなりの後半、精神が崩壊して堕ちきった頃にやってきたこと。

大抵の場合、セックスシーンって過程として描かれるじゃないですか。何か人間関係が起こり、セックスをし、それも経て何か次の段階に物語が進むというか。

でもこの作品では、セックスがむしろ堕ちきって全てが崩壊したときにやってくるんですよ。ある意味、全部精神をぶっ壊した「結果としてのセックス」なんですよ。理性を極限まで削った末に剥き出しになった人間の獣性として捉えられているようなんですよ。多分。知らんけど。

前半の会話シーンとかを見ていたときには「あ~中盤くらいでセックスパーティーになるんやろうな~」と思っていたんだけど、それは物語の上にある過程としてのセックスに慣れすぎていたからで、結果としての本能的獣性的なセックスでその前提を足元からぶっ壊してきたんですよ。それも、選択して理性を排除するのではなく、外力によって理性を破壊された末に。これには驚いた。本当に。

人間という一種の獣が、極限まで人間らしさを排除した時にどうなるか、そんなことも思わされましたね。

 

あと、これは僕の深読みなのですが、本当にあのサングリアにはLSDが入っていたのか?という疑問がずっと付き纏っています。

物語のあらすじには「彼らは、知らず知らずにLSD入りのサングリアを飲み、集団ドラッグ中毒に陥る。」って書いてるし、物語の最後にもLSD所持者がいたことをほのめかす描写もあるし(LSDは点眼薬として目から摂取することもあるそう)、多分疑う必要はないことなんだけど。

ただ、映画全編を通して明確に犯人は明らかにされなかったし、何よりそもそも「サングリアにLSDが入っていた」ということが事実として明言されてないんです。飽くまでも「誰かがサングリアに何かを、そう、LSDとかを入れたに違いない」という疑いを前提にして物語は進んでいくんです。

僕はうっかり鑑賞前にホームページとかであらすじを読んだので「あぁこのサングリアには薬物が入ってるんだ」と思いましたが、多分あらすじも何も知らずにこの映画を観ると、おそらく「え?結局あのサングリアのせいなん?」となる気がするんです。

最後の目薬のシーンも、仮にあれが普通の目薬でなくLSDだったとしても、それをサングリアに混入させた証拠にはならんのです。飽くまでもそのダンサーは所持しているだけ。

 

総評の最後に、この深読みをさらに疑り深いものにしてくれたものとして、映画鑑賞後に読んだギャスパー・ノエ監督のインタビューにあった、この一言を紹介しておきます。

 

「思春期の子供たち向けの映画です(笑)。あらかじめ彼らたちに、アルコールがいかに恐ろしいかを啓蒙するための映画なのです」

 

 

○最後に

現実でなく創造のうえで人間の持つ狂気や愛に触れられるという点で、作品を観るのが楽しいと感じる今日このごろ。謝辞として、今回こんなエキセントリックでセクシャルでバイオレンスな映画を観に行こうぜというとんでもな誘いに応じてくれた友人に本当に感謝です。あの後に電車や鳥貴族で語らえたおかげで、この衝撃的な作品をよりうまく消化できたように思います。ありがとね。

しかしながら、映画、いいなぁ。PrimeVideoなり映画館なりでもっと作品に触れてみたいってなった。あとは人間が台詞や身振りで表現するという意味で、演劇ももっと触れてみたい。

世の中、まだまだ知らないことが沢山あるね。死ぬまでは、知ろう。

 

それでは。