TTWAさんの思考成果物置き場

健やかな26歳男性が考えたことについて、ふんだんに主観と詭弁と出任せを交えて適当になぐり書きします。真に受けないでください。

日記 2022/2/22

極めて個人的な日記です。

端的に言えば、祖母が他界しました。

今日のことは忘れたくなかったので、今のうちに文章に。

こんな最初の記事がショーパブ行ったレポのブログで申し訳ないなと思いつつ。

ここしかな、親戚の目が届かずに長文書ける場所がありませんのや。

 

 

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2022年2月22日、11時58分。

 

昼飯を食べ終え、昼から出社予定のため支度をしている最中に母からLINEが来た。

 

「ばあちゃんの容態がよくない、今日会えるのが最後かもしれない。」

 

祖母は昨年末から入院しており、ご時世の都合もあり面会にも行けずではあったが、いつもの検査入院とあまりに様子が違っていたので覚悟はしていた。

急いで上司に連絡をして午後半休を取得し、自転車を漕いで病院へ向かう。

 

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13時前くらい。

 

たまたま病院の下で会った兄とともに病棟へ。

待合には祖父と母がおり、妹は面会中らしい。

ご時世もあって一人ひとり交代で面会していくシステムになっていたため、先に来ていた妹が待合に戻ると同時に看護師さんに連れられ病室に向かった。

 

今まで見たことがないくらい色々なケーブルを繋がれた祖母は目を瞑り、苦しそうに息をしていたが、まだその手は僕よりも温かく、生命を感じるものだった。

ケーブルが集まるバイタルモニターからアラートが鳴ってびっくりしてナースコールのボタンを押す。

看護師さんは「アラートが鳴ってしまうギリギリのレベルではあるがまだ安定はしていますよ」と、優しくアラートを止めてくれた。

 

「元気になってな、飯作ったるからな。」

「そういや3日前にばあちゃんが夢に出てきたよ。ろれつの回らん声で『私はもうあかんから』だなんて不安にさせてきて。ソレは怒るで!(笑)」

苦しそうに息をする祖母に明るい声色を意識しながら色々と語りかけた。

こっそりと祖母とのツーショットを自撮りした。

 

さぁそろそろ交代して兄の番だと呼び出しボタンを押す。

それと同時にバイタルモニターからまたアラートが鳴った。

帰り際にバイタルの何かよくわからない白い数値がどんどん下がっていく様子に胸騒ぎを覚えた。

 

兄と交代する前に2分くらい、「医者に少し見てもらいますね」と空白の時間が空いた。

 

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13時8分くらい。

 

兄が母と祖父とともに病室に向かった。

一人ずつのはずなのに。

 

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13時10分くらい。

 

伯父さんが病院に着いた。

受付に向かう伯父さん。あんなに早く歩く伯父さんは初めて見た。

 

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13時12分くらい。

 

待合で待機していた妹と僕が呼び出された。

 

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13時14分くらい。

 

病室に行くと、母が泣きながら祖母に声をかけていた。

病室にいる親戚一同泣いていた。

祖母だけはあんぐりと口を開けて眠っていた。

バイタルの数字は0だった。

手を握ると、さっき感じた生命の温かさが消えていく途中だった。

 

「よく頑張ったね、ありがとうね。」

ありきたりだったけど、聞こえるように声を大きくして語りかけた。

 

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13時20分くらい。

 

伯母夫婦が病室に着いた。

「お母さん」「お義母さん」と手を握って泣いていた。

快活で冗談ばかり言う伯母と義伯父が泣いているところを多分、17年くらい前の伯母の結婚式以来初めて見た。

 

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13時26分。

お医者さんが診察を始めた。

聴診器を当て、目を開いて瞳孔を確認した。

そして、お医者さんが「13時26分、逝去されました。」と告げた。

 

皆嗚咽を漏らして泣き、お医者さんと看護師さんにお世話になりましたと告げた。

 

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13時29分。

その後の様々なプロセスのため、親戚一同は待合室に。

早速祖父と母と伯父と伯母は葬儀の話に追われている。

僕はというと、ふと「上司に連絡しなきゃ」と冷静になり、スマートフォンからチャットで「祖母が逝去しました。葬儀等の詳細が決まりましたら忌引休暇等のご連絡をいたします。」と連絡を入れた。

冷静だったと言うよりは、祖母が亡くなったという悲しみがキャパシティーを越えて、感情がオーバーフローして逆に何も感じていないかのようだった。

ふと気付くと兄も「会社に電話せなあかんなぁ」とごちていた。

まだ大学生の妹は「週末のバイトどうしようか」と呟いていた。

大好きな祖母を亡くしたときに仕事のことを考えるなんて、この三兄妹も大人になったんだなぁと思った。

 

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14時57分。

時世柄もあり大人数で待合に長居することはできないということで、孫3人は早々に解散した。

唯一一人暮らしの僕は兄妹とは別方向に自転車を漕いで自宅に戻り、タバコを買いに行って一服し、一緒に買った麦茶を飲みながらこの日記をつけている。

 

祖母のことを思い出してみる。

調理場で働いていた経験もあり料理が上手だったこと。

チーズ入りの丸っこいウインナーをいつも焼いてくれたこと。

裁縫名人で色んな小物を作っていたこと。

十数年前、セカンドライフ謳歌する矢先にパーキンソン病にかかったこと。

中高大と部活で忙しくて、ほとんど顔を見せられなかったこと。

ばあちゃんの料理の中でも大根とお豆腐の煮物が好きだったこと。

もう10年以上おばあちゃんの料理を食べていなかったこと。

久しぶりにおばあちゃんを見たら、元気だった頃のふくよかさがどこにも無くなっていて衝撃を受けたこと。

どんどん体が思うように動かせなくなる中でも裁縫名人の手先の器用さは健在で、リハビリがてら小さなキューピーちゃんの服を大量にこしらえて、家中が服を着たキューピーちゃんだらけになっていたこと。

体は動かなくなっていっても頭はいつもキレキレで、食欲も旺盛だったこと。

行く度に「あんたがちっちゃい頃に大熱出してなぁ、頭から湯気が出てなぁ」と言っていたこと。

一度たまたまSNSを見ていて女の子の写真が画面に映った時、目ざとく見つけたおばあちゃんが「その女の子誰や、彼女か」と極めて真顔で言ってきたこと。

去年の11月、車椅子から介護ベッドにうつるのに何分もかかるくらい衰弱しきっていたこと。

それでもやっぱり、優しく見つめるまなざしは変わらなかったこと。

 

こうして文章にしてみる中で頭が整理されてきたらしい。

感情のキャパオーバーが少し治まって、逆に涙が止まらなくなってきた。

 

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15時8分。

涙が落ち着いた。

案外すぐ落ち着ける自分にも驚くが、それは覚悟できていたからなのか、まだ現実を受け止められていないのか。

多分今日は1時間おきには色々思い出して涙を流すんだろう。

そして葬儀を経て、少しずつ祖母の死という現実を受け止めていくのだろう。

 

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最後に。本当に私信。

ばあちゃん、よう頑張ったな。今まで本当にお疲れ様。

コンピューターのことはからっきしだろうけど、今は自由になった体で、多分この文章を書いている姿を後ろからこっそり覗き込んでると思います。

いつも気にかけてくれてありがとう。大好きです。

ゆっくりおやすみ。

 

ほんじゃ。

 

ダイエットの方法と考え方に関する回

※このブログは日頃文章にロクに触れていない人間が哲学を修めていないのに哲学っぽいことを語ったり心理学を修めていないのに人の行動心理っぽいことを語ったりする詭弁満載ファンタジーブログです。以下の「はじめに」を読んでご理解いただけた方のみ鼻でもほじりながら読んでください。

https://ttwa.hatenablog.com/entry/2019/09/04/210153

 

 

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こんばんは、TTWAです。

今回は知人からリクエストのありましたダイエット/減量に関することをつらつらと書く回とします。

というのも、僕は身長156.9cmなのに3年くらい前は体重68kgありまして、これじゃいかんとゆるい減量をして60kgまで落とした経験があります。最近は飯作るのにハマって62.5kgくらいまで戻りました。ちくしょう。

まぁその当時に筋トレに目覚めたり減量の情報収集をした経験から、自分なりの「痩せる手法や考え方」というのはできてきているので、今回はそれについてつらつら語ろうと思います。

なお、ここでのボディメイクはすべて「体脂肪を落として理想の体に近づけること」を指します。痩せ型の方が体重を増やしつつ理想に近づくケースは触れないことをご了承ください。

 

なお、本記事は以下の目次の流れで語ります。 

 

 

ちなみに、この記事の最終的な結論は日体大准教授バズーカ岡田先生のYoutubeの動画を見ろ!で終わります。よろしくお願いします。

 

 

 

前提:どういう体型になりたいの?

どういう体型をゴールにしたいかを考えることは非常に重要です。

減量とかダイエットとか、巷では「体重の数字を落とすこと」が目標のように語られることがありますが、実際はそうではありません。多くの人が得たい結果は「体重を落とすこと」ではなく、「スリムな/太っていない/健康的な体型を手に入れること」ではないでしょうか。つまり、最終的にどんな見た目になりたいかです。

ここで、体型と体重は一概に結び付けられないことを知ってください。例をあげると、筋肉20kg脂肪10kgの人と筋肉10kg脂肪20kgの人では見た目が全く異なるように、結局体重だけで人間の見た目を説明するのは難しくて、実際に筋肉量と脂肪量がどの程度の割合であるかというのも非常に影響します。

また、やはりゴールが無いと人はとかくモチベーションが出ません。ゴールを思い描いていてもつい誘惑に負けてしまうダイエット、ゴールもなかったらモチベが続くはずがないと思いませんか?

ですので、どのような体型になりたいかを考えて、それに適したアプローチを取ることが重要になります。ここからは、3つの痩せる目標に対しての個人的におすすめなアプローチを紹介します。

 

ケース1:何となく社会の風潮で痩せといたほうがいいかな~と思っている人

世間的に太ってるけど、自分としてはそんな気にしてもないけど、でも世の中的にはデブやし痩せたほうがいいのかな~?という方。

これについては、「ほんとに自分は痩せたいのか??」ということをまず明確にしてください。

大して今の体型に不満はないけど何となくでやるようでは、絶対にモチベーションが湧かないし長続きしません。数日~数週間ストレスが溜まる我慢生活をして爆発するように発散して体重変わらずストレスだけ繰り返す日々が訪れるだけです。

自分が今の体型でも問題ないと思うなら、それでいい。のではないでしょうか。

社会常識に惑わされず、自分が本当になりたい体型を考えてみてください。本当に自分が納得して今の体型になっているのであれば、無理に社会に迎合してやる気のない変化を自分に強要することもないと思います。

 

ケース2:とにかく細くなりたい人

手足が細い、脂肪もなければ筋肉もない、そういうスリムボディを目指すあなた。

これについてはもう結論は簡単で、「食うな動け」です。

人間というのは消費カロリー>摂取カロリーになれば体脂肪が落ちます。筋肉量もある程度残して体脂肪を落とすのであれば摂取カロリーを下げすぎるのは問題になりますが、筋肉もいらねぇ!!!細くなりてぇんだ!!!!という場合は話は別です。死なない程度に栄養バランスとかは気をつけながら摂取カロリーを極力抑えて、脂肪も筋肉も落としてしまいましょう。また、このケースの場合は筋肉を保持する必要がないので筋トレも必要ありません。

ただし、筋肉が落ちるというのは基礎代謝(寝て起きてるだけで消費するカロリー)が落ちてしまいその分「痩せにくく太りやすい体」になってしまうので、そこだけお気をつけください。

 

ケース3:ある程度健康的に痩せたい人

痩せたいけどガリガリになりたいわけじゃない、適度に筋肉/脂肪が乗った体がいいというあなた。

これについては結論は「ほどよく食ってええ感じに動け」です。

ケース2でも触れましたが、筋肉を保持したい場合は摂取カロリーを極端に減らすのはかえって問題です。何故なら、体のエネルギーがあまりに不足してしかも筋トレをしていないと、人間の体は使われていない"不要な筋肉"を分解してエネルギーにしようとするからです。これを防ぐためには、筋トレをしながら体に栄養を入れる必要があります。しかしながら栄養を入れると言ってバカスカ食べていると当然太ります。なので、「ほどよく食べる、ええ感じに動く」が大事になってくるわけです。

なお、この方法を取ると筋肉量もある程度担保されるため、基礎代謝が高い状態になり、「痩せやすく太りにくい体」をつくることにも繋がります。

 

 

ここまでのまとめ

まずはそもそも痩せたいのか?というポイントが大事。痩せるにしても筋肉を削るレベルで細くなりたいのか健康的なフォルムで痩せたいのかという違いがあることを話しました。

ちなみに僕自身はまさにケース3で、筋肉をつけながら痩せたいというタイプでした。

ということで、ここからは僕の経験と偏見に基づいた、ケース3の「筋肉は残して脂肪を削りたーい!」という人向けの考え方を紹介していきます。

 

 

本題:筋肉を残して脂肪を削るために

うだうだ語る前に「これやっとけこう考えとけ」をまとめる

バズーカ岡田先生のYoutubeの動画を見てください。

ボディビルダーは筋肉を残して脂肪を削るというスタイルのダイエットのプロとも言えます。 最近はそういった競技に出られている方でYoutubeで配信している人も多くいますが、その中でも日体大准教授でボディビル競技選手のバズーカ岡田先生の動画は経験的知識も学術的知識も多く参考になります。見て勉強しましょう。

youtu.be

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俺的「これやっとけこう考えとけ5選」

上記で動画を紹介しましたが、やはり競技者の話はとても参考になりますし、僕自身もそこから多く勉強してきました。

とはいえここは僕のブログでもあるので、個人的に学習実践してこれは良いなとかこういう結論だなと思うこともあります。なまじ色々調べたり実践した経験から語りたいことはたくさんありますが、とりあえずこれをやっときゃ良いと僕が個人的に思うもの5選を紹介します。

 

・摂取カロリー<消費カロリーにする

摂取より消費が多ければ当然痩せます。基礎代謝とか生活活動代謝とかその辺計算してそれ以下に摂取カロリーを抑えましょう。ただし摂取カロリーを過度に抑えると筋肉落ちるしエネルギー不足で集中力も落ちるし良いことなしなので、計算して出てきた消費カロリーから200~300kcalくらい引いた数字で調整するといいんじゃないでしょうか。この辺は諸説あるので詳しくは調べてください。

ちなみに簡単な代謝の計算は下記サイトでできまず。筋肉量とか体脂肪量を考慮していないから正確ではないと思いますが、目安としては使えるかと。

keisan.casio.jp

 

・タンパク質は最低体重×1g摂取する(体重60kgの人なら60g)、筋肉つけたいならもっと。

タンパク質が不足すると筋肉量を維持できないので、結果として代謝が落ちて太りやすく痩せにくい体になります。健康に痩せたいならプロテイン飲んででも体重×1gは死守。筋肉を今よりも増やしたいのであれば、体重×2gくらいを目標に。

 

・低脂質な食事を心がける

脂質は1gあたり9kcalでしかも腹持ちが悪い。炭水化物削って空腹に耐えるなら脂質削ってお米をちゃんと食べたほうが気持ちが圧倒的に楽だと個人的に思います。

 

・腕立てスクワットプランクだけでええから筋トレしとく

筋トレによってカロリー消費できるし代謝も上がる。別にボディビルダー目指すわけでもないんだから腕立てスクワットプランクで十分やと思います。これやって筋トレにハマったらダンベルを買ったりジムに行くのもいいかも。

 

・長期戦を覚悟する

健康的な減量は1ヶ月で最大でも体重の5%落とすペースが理想という説もあります。体重60 kgだとしたら5 %なので毎月多くても3kg、これ以上のペースだと健康を害したり痩せたとしても結果として太りやすい体になってしまうとも言われます。60kgから10kg落とすとなればそれだけで3ヶ月以上の道のりは覚悟しなきゃならないです。近道はないと割り切りましょう。

 

以上5点を意識してやっていけば、必ず痩せるはずです。実際僕はダイエットをしていた当時これをベースに考えるだけで体重を落としましたし、理屈的にも間違ったことは言っていないと思います。むしろ流行りのダイエットとかは危険性を伴うものまであるので、こういう基礎的な部分を大事にしてやっていくことをおすすめします。

 

 

 

減量を成功させるための個人的な考え方

さて、ここまで語ったようにぶっちゃけボディビルダーの手法などに代表される正しい減量の知識はYoutubeやそこいらのブログにもたくさんあるので、正直自分が語る場面でもないかと思っています。詳しくは「除脂肪」「減量」「PFCバランス」などで検索するといくらでも質の高い知識は得られるのでそちらを参考にしてみてください。

ですので、ここからは知識の伝授というよりは、僕という一個人が実際に痩せようとしてみて感じたことや考えたことについてつらつらと述べていこうと思います。

 

減量は情報が大事

効果的に体重を落とすには知識が必要。

世の中には色んなダイエットがあります。酵素がどうとかいうのもあれば朝これを食べるだけとか魑魅魍魎妖々跋扈のノリで様々です。しかしながら、本質的にはこれまでにも言っていますが「摂取カロリー<消費カロリー」と「栄養バランス」がすべてです。多くのボディビルダーが、筋肉をつけそして痩せることを生業としている彼らが酵素をとらずにこの減量の基本に則って結果を出していることからもこれは明白です。その情報については今ではYoutubeはじめ様々なメディアから学べるので、是非色々情報収集してみてください。

 

目先の体重の数字に一喜一憂しない

水1L飲んだら1kg増える、それくらい不確実な数字に振り回されない。

体重の数字って目安にはなっても正確な指標じゃないんですよ。同じ体重70kgでも体脂肪率10%だったらバキバキのマッチョだし体脂肪率30%だったらぷよぷよのおデブですし。また、胃腸の中にある消化中の食べ物の量、体に溜まっている水分量でも体重は大きく変わります。1L水を飲んだら1kg増えるし、1Lおしっこ出せば1kg減ります。それくらい簡単に増減する数字ですので、今日よりも明日が1kg多い(少ない)なんてことも往々にしてあります。

ですので、大事なのは「見た目が変わっているか」「長期的に見て数字がどう変わったか」です。そりゃいくら増減が大きいったって1ヶ月経って何も変わらなかったら停滞していると言わざるを得ないですが、短期的な数字の増減はアテにならない部分もたくさんあります。比べるべきは体型。体重を見るなら比べるのは昨日の自分ではなく、先月の自分と心得ましょう。

とはいえ一喜一憂、しちゃうんですけどね…(人間は弱い)

 

考えるのが面倒くさいなら「油ものを減らす」

低脂質の食事に置き換えるだけで摂取カロリーは大幅に削れる。

最近は低糖質みたいな食事も流行っていますが、ぶっちゃけ脂質削ったほうが圧倒的に良いと個人的に思ってます。

何故なら炭水化物・タンパク質は1gあたり4kcalなのに対し、脂質は1gあたり9kcalあり、その上脂質なんて大して腹も膨れなければ腹持ちがいいわけでもないからです。

例えば同じ300kcalを摂取するにしても、Lチキを1個食べるのかサラダチキンとおにぎり1個ずつ食べるのだったら、圧倒的に後者の方が腹が膨れますよね。やっぱりダイエットにおける最大のストレスは空腹だと思うんで、同じカロリー内でいかに腹持ちのいい選択肢をするかが重要になってきます(もちろんタンパク質摂取量なども考えましょう)。腹持ちがいいということは余計に食べる量が減る、ということはトータルの摂取カロリーを落とすことができる。できるだけストレス無く減量を続けるためにも、油ものを避けてお腹を満たしてみてはいかがでしょうか。

 

カロリーやPFCバランスを意識して料理をする

料理をすることでそれぞれの食材が持つカロリーや栄養バランスが見えてくる。

カロリー収支やPFCバランス(タンパク質、脂質、炭水化物のバランス)を計算することは大事だということは色々なところで言われていますが、これをスムーズに行うためにもカロリーを意識して自分で料理してみることを僕は強くおすすめします。

例えば鶏むね肉はどれくらいのカロリーか、お茶碗1杯の米に含まれる糖質はどれくらいか、炒めものを作るときにどれだけの油を使うのか。例えばサラダ油は大さじ1杯で111kcalです。これを知っているかどうかでも、食事の選択肢は大きく変わります。

そしてそういったことを知ると外食だったりコンビニ飯選ぶときでも、太らないダイエットに最適な飯を感覚的に選ぶことができます。言い換えると、「あぁこれ食べたら太るな」というものがある程度見分けがつくようになるわけです。

キッチリ真剣にやるならまだしも、ゆるく長期的に痩せようとなると毎度毎度厳密に計算するのはダルいし習慣にならないですよね。しかし感覚で痩せ飯を見分けることができれば、特に厳密な計算をしなくてもカンだけである程度痩せることができるようになります。つまり、太りにくい食事を習慣化することができるというわけです。

また、巷にあふれる食品は大抵脂質が多いので、実際に外食で済ますとなると高脂質高カロリーは避けられない場面が結構あります。そういう意味でも自分で料理するのは結構有用です。安いし栄養バランスも自在だし。時間はかかるから時給換算したらコストはトントンやろうけど。

 

ストレスにならない範囲を見つける

願望よりストレスが勝った時点で苦行になるだけ。

ぶっちゃけダイエットなんて国自治体会社学校その他諸々に強要されてやってるはずがありません。つまり個人の自由のもとにやっているんです。だからなりたい体型を実現したい!という願望以上のストレスを感じてしまえば、一瞬で心が折れます。

なので、過度にストレスにならない程度の範囲で努力することが非常に重要になります。もちろん鋼鉄みてぇな強い意志でどんな苦行にも打ち勝つくらいモチベが高いならハードな減量もありかもしれません。ですが大抵の人はいきなりハードなことをしてもすぐにダメだ~と諦めてしまいます。

なので、自分ができるところからやることが大事です。お茶碗の米の量をいつもより2口少なくする。ラーメン屋で大盛頼んでたのを並盛にする。いつもポテチを食べていたのを薄焼き煎餅みたいな脂質少ないものに置き換える。豚カツ定食でなく豚テキ定食を頼む。エレベーターでなく階段を使う。週2回飲みに行ってたのを週1回にする。そういう小さな選択を積み重ねることで、チリツモで痩せていくことも十分に可能です。

いきなり断食!!!!みたいなストレスまみれなやり方をするのではなく、負担にならないところで努力をしていきましょう。

 

 

最後に

ここまでつらつらと書いてきましたが、色々知識などをつけていても最終的に結果が出ると信じて実践する他はありません。バズーカ岡田先生の動画を観て知識をつけて、諦めずにコツコツと努力を積み重ねていくことが重要です。僕は最近アルコールの飲みすぎで積み重ねたものを崩す段階に入ってしまっていますが、改めて気を引き締めて頑張らないとなぁ。僕もがんばります。あなたも理想の体型があるなら、ともに頑張りましょう。

 

ということで今回は以上です。長々とお付き合いいただきありがとうございました。それでは。

 

 

(参考)個人的にオススメの動画たち

バズーカ岡田先生の動画を激推ししてはいますが、もちろん他にも良い情報を展開してくださっている方はたくさんいます。

ということで最後の最後に、個人的にオススメの動画をまとめます。

・来年の夏には間に合う!体型別ボディメイクはじめの一歩!

youtu.be

コアラ小嵐さんの動画。僕がダイエットを始めたきっかけの動画でもあります。とてもわかりやすくそしてキッカケになる話をたくさん聞けます。長い動画ではありますが、ぜひ。

 

・5つのルールで簡単ダイエット【減量】

youtu.be

↑同じくコアラ小嵐さんの動画。ゆるく簡単な手法をわかりやすく教えてくれます。

 

プロテインを飲むべき理由【食事は太る】

youtu.be

↑ガジェットブロガーのトーマスさんの動画。ボディビルダーな視点ではない、多分多数派である「ちょっと痩せようかしら」くらいの人の価値観に近いところから、タンパク質とか摂取カロリーとかをわかりやすく解説されています。あとトーマスさんの動画のテンポすごい好き。

 

・ダイエット中の摂取カロリーの計算は?タイプ別で考えよう!

youtu.be

↑女性トレーナーMiyakoさんの動画。カロリー計算についてかなりわかりやすく解説されています。僕は男なのであまり見てませんが、女性の方に参考になる話も他の動画にたくさんあるのでは。今回ダイエットというテーマをくれた友人が女性だったので、女性向けの動画もひとつご紹介ってことで。

100の質問に答えてみる回

今回は趣向を変えて、自分がどんな人間かを改めて見つめ直す意味も込めて100の質問をやってみます。

僕のことをよく知っている人もネット上でしか知らない人も、こんな人間なんだーほーーんくらいの気持ちで鼻でもほじりながら読んでやってください。

 

なお、質問は以下ページより拝借しました。

100mon.jp

 

それではれっつらご。

 

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自己紹介したいなって人に100の質問
1. 出身

大阪生まれ大阪育ち大阪在住。


2. 年齢

26歳児


3. 誕生日

2月(日付は伏せときます)


4. 血液型

O型


5. 身長

156.9cm


6. 握力

高校のとき測って以来だからわからない 40kgはあってほしい願望


7. 周りから言われる性格

優しい


8. 本当の自分の性格

ビビり


9. 最近、集めているもの

直近だと小説


10. 将来の夢

老人になっても趣味全開で過ごすこと


11. 言われて嬉しい言葉

ありがとう


12. 何をしている時間がいちばん好き?

友達と駄弁っている時間


13. 好きなことわざ

人間万事塞翁が馬


14. 好きな香り

女の子の髪の香り


15. 好きな食べ物

きのこパスタ


16. 好きな花

道端で咲いてるやつ全般


17. 好きな色

バーガンディー


18. 好きな形

五角形


19. 好きな顔文字

_(:3」∠)_


20. 異性のドキッとする仕草

見つめられて首を傾げられる瞬間


21. フェチ

眼鏡っ娘、口唇


22. 付き合うなら何歳上までOK?

考えたことないけど多分5歳上くらいまで


23. 今一番デートで行きたい場所は?

何か自然があって景色ええとこ


24. 浮気されたことある?

浮気される相手がいない


25. したことは?

浮気の前に本気がない


26. どこからが浮気?

友情で説明つかん行為をした段階


27. 付き合ったら束縛する?

したくないけど多分相当寂しがる


28. 束縛されても平気?

構ってちゃんくらいは大丈夫だけど他の女性友達関係切らせるみたいな重い束縛はマジで無理


29. 一目惚れしたことある?

ない、友情がそのまま恋愛感情に発展するタイプ

 

30. 理想のタイプ

夜景のキレイなレストランより鳥貴族が好きな人

 

31. 結婚はしたい?

したい


32. 今まで付き合った人に共通すること

いない


33. 恋愛ではS?M?

尽くしたい派だからMではないと思う


34. 恋愛において、今までと変わったこと

無理に押し殺さず感情表現しようとは思えるようになった


35. 告白はする派?待つ派?

チキって待たざるを得ない派


36. 苦手、嫌いなタイプ

自分の利益のために平気で他人を利用する人


37. 付き合ってから変わること

経験がない


38. 恋するとどうなる?

脳内がせわしなくなる


39. 今好きな人はどんな人?

女の人


40. 好きなアーティスト

Dream Theater

 

41. 元気をもらえる歌

SURFACEの「なにしてんの」


42. 好きなこと

音楽に触れること


43. 得意なこと

褒めること


44. 好きな芸能人

テレビを見ないのでわからない


45. 最近のマイブーム

料理


46. 好きな飲み物

麦茶、ビール、日本酒


47. 好きな食べ物

きのこパスタ


48. 今、いちばんやりたい事

会話


49. 好きな場所

行きつけのシーシャ屋


50. 仲良くなれる友達のタイプ

人間関係において打算的な人以外


51. よく行くパワースポット

行かないけど地元の神社近くは通る


52. ストレス発散方法

シーシャ屋でシーシャを吸う、友達と駄弁る


53. 好きなキャラクター

ちみたん


54. 好きな絵文字


55. いちばん好きな時間

朝起きてから支度始めるまでの自由時間

 

56. 自分の長所

ポジティブ思考


57. 自分の短所

深く考えていない


58. 苦手なこと、もの

否定


59. 好きなスイーツ

御座候


60. 似ていると言われる動物

昔親か祖父母にはおさるさんみたいって言われてた気がする


61. コンプレックス

低身長


62. チャームポイント

眼鏡


63. 昔から変わってないところ

おかんのきのこパスタが好きなところ

 

64. 好きな柄

強いて言うならチェックだけどそもそも無地かプリントものが好き


65. 好きなファッション

男女問わず、トップスがオーバーサイズな感じの服装


66. 好きな髪型

前下がりボブ


67. 好きな味付け、調味料

カマダのだし醤油、あれはマジで革命


68. 今の自分にいちばん必要なもの

ときめき


69. 好きなイベント

友達や仲いい先輩後輩との飲酒行為


70. 標準的な起床時間

6時


71. 標準的な就寝時間

22時半


72. 朝起きて最初にすること

Twitterのタイムライン確認


73. 寝る前に必ずすること

寝落ちしなければ「(:3[____]」ってツイートする


74. 自分冷めてるなと感じる時。

アイドルがテレビでパフォーマンスしているのを見かけた時。アイドルは個人的な価値観で好きになれたことがないので。


75. 好きな移動手段

音楽聴きながらの徒歩、本読みながらの電車


76. 自分って怖いなと思う時

自分の精神的成熟が見られない瞬間を感じた時はある意味怖いと思う


77. 友達は多い?

ありがたいことに多い方だと思う


78. 好きな季節


79. 何故?

パーカー着れる、アウター着んでいい、汗かかない、でも寒くない、秋刀魚がうまい


80. 好きな数字

2


81. 今、これはもう絶対しないと決めてること

ひげ剃り用の電動シェーバーでお腹の産毛を剃る行為(昨日やってお腹が傷だらけになったので)


82. 今、いちばん勉強したいこと

PythonかWebデザイン


83. 後悔してること

昔のとある人間関係のやり方


84. 友達にはなんでも話せる?

自分以外に飛び火しないような話なら


85. 好きなスポーツ

筋トレ


86. 毎日欠かさずやること

外に出る 何の予定の無い日もとりあえず散歩に出る


87. 失恋するとどうなる?

ツイートが増える


88. 嫉妬する?

するけど表に出すかは別


89. されても大丈夫?

嫉妬の結果意味わからん攻撃されないなら、感情持つこと自体はしゃあない


90. 恋愛において、自分のいいところ

割と純真


91. 悪いところ

ヘタレ


92. 今のあなたを支えになっているもの

友達、音楽


93. 今、いちばんがんばっていること、もの

一人暮らしの実現に向けた準備


94. 生まれ変わったら

黒のポンプフューリーが似合う女の子


95. 座右の銘は?

おもろい方へ


96. 最近嬉しかったこと

昨日友達と焼肉食べに行きました


97. 常にこうしていたいと思うこと

肯定して、前進する


98. 目標

死ぬ時にまぁ後悔は無いなって思える人生を生きる


99. 憧れの有名人

ガジェマガのトーマスさん


100. 今の自分に一言

昼飯はきのこパスタにしようぜ

 

 

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即答できる質問もあれば思い悩むものもありましたが、こうして自分を見つめるっていうのは案外楽しいもんですね。

しかしながら100の質問、多分やったのmixi流行ってた時以来なんじゃない…?(笑)

ある意味懐かしさを感じながら自分と対話できました。良い時間だったね。

 

それではまた。

 

自分の理想像を書き殴るだけの回

※このブログは日頃文章にロクに触れていない人間が哲学を修めていないのに哲学っぽいことを語ったり心理学を修めていないのに人の行動心理っぽいことを語ったりする詭弁満載ファンタジーブログです。以下の「はじめに」を読んでご理解いただけた方のみ鼻でもほじりながら読んでください。

https://ttwa.hatenablog.com/entry/2019/09/04/210153

 

 

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お久しぶりです、TTWAです。

 

最近色々キッカケがあって、自分はどういう人間でいたいんだろう、本当は自分はどんなことをしたいんだろうと考えることが多くなりました。

昔は大体手が空いた時には過去の自分の失敗を責め立てて現在以降を良くしたいという発想に至らなかったのでこれだけでもポジティブな進歩をしていると言えますが、とはいえ未来に目を向けたところでどこにピントを合わせてどういう画角で物事を見ようというのはなかなか決まってはいません。

そこで、自分の思考を整理するためにもブログ記事という長文が許されるフォーマットで、かつ他人に見られる分より整理することを余儀なくされるかたちで、最近思う自分の理想像を書きなぐっていきます。

完全に俺による俺のための俺の思考整理なので読みにくい文章になりますが、TTWAの脳内ちょっと覗いてみようかしらという方は、耳でもほじりながら読んでやってください。

 

 

 

結論は「おもろいほうへ」

一度しかない人生、カリカリして生きるよりもガハハって生きたほうがええやんという話。

世間には色々な生き方がある。足るを知るでほどほどに生きることが説かれたり、断捨離をしてミニマリストになってみたり、合理的思考で億を稼ぐ経営者になったり、友人仲間とときにはワルいこともしながら楽しんだり、誰かのヒモになったり、誰かをバキバキに養ったり、子どもが10人いたり、独身貴族を貫いたり…

それこそ梅田で200人とすれ違ったら200人分の生き方があるわけ。

自分の生き方なんていうのもそういう70億通りという途方も無いパターンのうちのひとつにすぎないんだ。決して誰かと同じものになるはずがないのに、周りと比べてふんぞり返ったりうじうじ卑下したりしているのは本当にもったいない。この70億あるにも関わらずオンリーワンな自分の生き方を、もっと良いものに磨くべきだ。

だから、自分は自分の人生を豊かにするために、常に「おもろいほうへ」というのをモットーにする。自分自身の人生をマネジメントする上で最も大事なことは主観的に良いと思うかどうか。主観的に良いというのはつまり「おもろい」ということ。常に新しいおもろさを常に求めて生きていきたい。

 

ここからは、自分が思う「おもろい人生」を実現するために心がけるべきと現時点で考えていることを列挙する。

 

 

まずは認めて、肯定しようとする

 認めてこそ、前進することができる。

 世の中には色々と理解できなかったり生理的に受け付けないような物事が沢山ある。

それらを目にしているうちに、新たな物事が目の前に現れたときについ懐疑的になり、表面だけ見て「これはダメだ」と一蹴してしまう癖がつく。

このやり方では、よく見ると人生を変えるほどの気付きがあったはずの物事に出会うチャンスを失うこととなってしまう。

何事にも学びは潜んでいるはず。まず出会ったものの存在を認めて、肯定することから始めよう。何事からも学ぶことはできる。「ここから学ぶことはない」という気づきも含めて。

そういう出会いと気付きを繰り返すことで前進することができ、人生はもっと豊かになるはずだ。

 

 

「Give&Give」の精神で生きる

「これまでの愛はGive&Takeだったが、見返りを求めるのはエゴであり、それだと人は成長できない。今はGive&Give。愛はあげればあげる程増えていくことに気付いた」

 

自分が好きなAwichというラッパーがインタビューで語った言葉。シーシャを吸いながらこのインタビューを読んで、稲妻のような衝撃が走ったのを今でも覚えている。

Takeを求めるということは、つまり損得勘定で物事を考えるということ。勿論商売などの利害が必要になるケースではそれを考えることも重要だけど、例えば友達などの利害で片付けられないような関係性では、Takeを求めること自体が、感情のゼロサムゲームを始める愚かな行為だと気付いた。

友愛、恋愛、親愛、親子愛、敬愛、自己愛… これらの愛情を見返りも求めずに与え続けられることは確実に人生をより良くするエッセンスだと思うし、何より愛を与えることは人間の社会的生命体としての本質ですらあると思っている。

Give&Giveで、ヒトの本質である愛を感じながら生きていると、絶対に「おもろい方へ」人生が向かっていくんじゃないかと、自分は信じている。

 

上述のAwichのインタビュー、とても良いので是非読んで、曲聴いてみてください。

波乱の人生を乗り越えた先の人間性にきっと惹かれるものがあるはず。

rockinon.com

 

 

 

「楽」よりも「楽しい」へ

苦痛を伴っても、自分の信じた楽しい方へ。

同じ漢字が使われるから混在しがちだけど、「楽」と「楽しい」は全くの別物。

人生にある2択でよくあるのは「こっちの方がキツいけど楽しそう、でもあっちのがストレスが無くて楽そう」という状況。

こういうときについストレスが無いことを優先して、楽な方に流れてしまう。これは昨今のストレス社会の影響で「ストレスがない状態=楽しい状態」という等式が生まれてしまったことにも原因があるとは思う。だけど、俺は俺にこれだけ聞いておきたい。

「おもんない楽なだけの人生過ごして、死ぬときに満足できるか?」

死ぬときに満足するためには、現在を常に楽しくする。常に楽しい方へ。おもろい方へ。

 

 

常に「自分」を生きる

自分が死んだときに閉じる「自分の世界」をより良くするため、自分を生きていく。

過去にも書いたかもしれないけど、俺は「自分が死んだときに世界は崩壊する」と考えている。世界を認知する自分が消えるということは世界を認知する術がなくなる、認知できないものなど存在しないに等しい、だから死ぬ時は世界が終わる時。

だからこそ、自分だけの世界を最高のものにするために、決して自分に嘘を付かずに、ときに常識や世間とぶつかってでも、自分の信じた道を生きていく。

老衰でも事故でも殺害でも、いつか自分が死ぬ瞬間に「俺は俺の人生を生きた、その点に後悔はない」と思える人生こそが、自分を生きて、自分という生命を燃やして、生きられた証左になるのではないだろうか。

答え合わせは死ぬときになるけど、そのときが来たときに、例え誰かに刺し殺されても笑顔で幕を閉じられるように。精一杯自分を貫いていく。

 

 

 

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えーっと。

書いて思ったんやけど、内容すっくな!!!!(笑)

でも書いてみて改めて気付いたけど、日頃あーだこーだ言葉を並べて長文ツイート連発したりしとるけど、根幹で思っていることは想像以上にシンプルなんやね。

 

考え込みがちな性格だからつい単純なものに無駄なものをつけて飾り立ててしまうけど、結局虚飾を剥がした先にあるものはこんなもんよ。こんなもん。

だからこそ、シンプルになった根幹をもっと太く立派に育てられるように、そして最後にそれを眺めてほくそ笑んで死ねるように、「おもろい方へ」生きていきましょう。

 

あと数週間後にコレを見て「言うてるだけで何も実現できてないやんけ!」と言うであろう俺に一言。

できないからこうやって理想掲げてどうにかしようともがいとんねん。ゴール目指す人間を馬鹿にするやつに限って自分はゴールに向かって歩いてすらいない奴らやからな。お前はそれになるな。ゴールに向かう自分を、ゴールを探す自分を常に応援してやってくれ。頼んだで。

 

 

今回は以上です。ではまた。

ポジティブ思考を得るための4つの方法

※このブログは日頃文章にロクに触れていない人間が哲学を修めていないのに哲学っぽいことを語ったり心理学を修めていないのに人の行動心理っぽいことを語ったりする詭弁満載ファンタジーブログです。以下の「はじめに」を読んでご理解いただけた方のみ鼻でもほじりながら読んでください。

https://ttwa.hatenablog.com/entry/2019/09/04/210153

 

 

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前回の記事でも書いているんだけど、僕は20代前半まで相当自己肯定感が低く、それによるネガティブ思考に苛まれながら生きてきた。しかしこの数年で考え方の矯正を試みて、その結果それなりにポジティブ思考を体得することができたんじゃないかと考えている。

そこで、本記事では僕の実践した「ポジティブ思考の手に入れ方」を共有しようと思う。その内容は完全自己流で僕が体験したという事実以外エビデンスが存在しないやり方ではあるけど、誰かのネガティブを改善する一助になれば幸いである。

なお、繰り返しだがこの記事の内容は飽くまで実体験ベースであり学術的論拠などは一切ないので、当てはまらない人がいるのは承知だし、これをすれば心療内科などに通わなくていいということは断じてない。病院や薬を含め必要な助けを借りながら前に進むことは大切なことで、その"必要な助け"のうちの一つになれば、と願うばかりである。

 

 

 

 

前置き:ネガティブな自分を殺す必要はない

ポジティブな考え方を得る方法を解説する前に、「ネガティブな自分を殺す必要はない」ということを伝えたい。

ポジティブな人間になろうとするうえで考えがちなことは「ネガティブな自分とおさらばする」ということだ。 こう考えるのは真っ当で、なぜなら今までの自分を苦しめてきたのは紛れもなくネガティブな自分だからである。

しかし待ってほしい。ここで忘れてならないのはそのネガティブな自分も紛れもなく「自分」なのだ。この自分自身を否定しようとするというのは、つまり自分に対してネガティブシンキングの矛先を向けるのに等しいのである。ポジティブになるつもりが自分をネガティブで突き刺すことになってしまう。これでは本末転倒だ。

なので、まずは「ネガティブな自分は殺さなくてもいい」ということをよく脳裏に刻んで欲しい。例えばあなたが日本からアメリカに移住したいから英語を話せるようになりたいと思い勉強する時、わざわざ日本語を忘れる必要はないはずだ。アメリカで暮らすなら主要な言語は英語に切り替わるだろうけど、日本語話者としての自分を殺す必要はどこにもない。しかし、アメリカで暮らすうちに日本語を使う機会が減って、ふとしたときに「あれ?日本語でどう話すんだっけ?」となる日が来るだろう。

つまりこれを、ポジティブ思考とネガティブ思考に置き換えて行えばいいのだ。ポジティブ思考を学び実践し、習慣づけるうちにネガティブ思考を忘れてしまう。そのために無理にネガティブ思考を殺す必要はない。ただポジティブ思考を自分の思考習慣に付け加えるだけ。

是非今の貴方を大事にしながら、これから先に述べる方法の実践を検討して欲しいと思う。

 

 

本題:ポジティブ思考を得るための4つの方法

ここからは僕の実践してきたポジティブ思考を得るための方法について解説していく。なお解説中に「ネガティブ思考にありがちなこと」をとうとうと語る場面もあるが、全く学術的なエビデンスなどは存在していないので、僕の偏見丸出しであることも踏まえて読んでもらえると助かる。

 

1. 肯定することを前提に物事と向き合う

まず第一歩として、何事も肯定的に捉えることから始めよう。

ネガティブ思考に陥るとありがちな現象として、色々な物事に否定的ないしは無関心になることが多いと思う。常に「微妙だなぁ」とか「どこか悪いところがあるのでは」と、ついつい粗探しをしてしまう。

これがつまり、「習慣化されたネガティブ思考」だ。ニュートラルに物事を考えた時についつい否定側に傾いてしまう状況が実はとても危なくて、まずはこの部分を治すことが重要だ。

そこで、目にしたものに対してはできる限り「こいつをとことんまで肯定してやろう」という目線を持って、良いところ褒められるところを積極的に探すようにしよう。ときには少し無理のある肯定をする必要もあるかもしれないが、思考のニュートラルをポジティブに切り替えるにはまず第一歩は無理やりにでもプラス思考をすることだと思う。

勿論、これはネガティブ思考の自分を殺すためのプロセスではない。むしろ、ポジティブ思考の自分を産むための第一段階なんだ。これは英語を学習するうえでの"I am ほにゃらら."であり、プログラムを勉強する時の"Hello world!"なんだ。ポジティブ思考初心者として、この訓練は是非行って欲しい。そうして他者に対して培った肯定的な目線を、今度は自分に向けてやればいい。

 

2. 自分の見た目に投資する

とにかく最小限でも最大限でもいいのでコストをかけて、自分の見た目に投資をしよう。

投資と言うとなんだか胡散臭かったり高額な空気がしてくるがそういう話ではない。ここで言いたいのは、GUの服を買うでも1日5分筋トレするでも何でもいいので、とにかく自分の見た目を良くするために少量でもお金や時間を使うことが重要だということなんだ。

多くの場合はネガティブになると「どうせ自分は」という感性が働いて、自分に対して良いことをしてやろうという気持ちが薄れてくる。そして自分に対して無関心になり素っ気なくなることで、自分に対してポジティブな気持ちを向けることができなくなってしまう。

そこで、自分の見た目に投資することで、「自分に投資した自分、偉い!」という褒める口実を作るんだ。別にその結果筋肉が付こうが付かまいがファッションが良くなろうがダサくなろうがそのへんはどうでもいい。とにかく「自分に対してお金や時間を使って何かをしてあげた」という実績を作ることで、それをした自分をべた褒めするんだ。

何をアホなことをと思うかもしれないが、ネガティブな人に限って「自分を褒めることに慣れていない」という特性がある。だからこそ褒める口実を作って自分を無理矢理にでも褒めちぎることで、自分を褒めることに慣れるんだ。英語学習の時に腐るほど"My name is ~~~"と言わされることで自己紹介の仕方を覚えるように、とにかく口実を作っては自分を褒めまくって、自分を褒めるやり方を覚えよう。そのためにも、自分に時間やお金を投資することをおすすめする。

こんな自分にわざわざお金や時間を使うなんて…という気持ちはネガティブでもある自分には痛いほどわかるしそんな暇があったら他の何かに費やしたいのは山々なのは承知だけど、ここはぐっと勇気を持って自分に使ってやってほしい。人生トータルで見たときには、きっと目先の何かよりも生涯使えるポジティブ思考を得たほうが、最終的に幸せに生きられるんじゃないかと僕は思う。

 

3. ポジティブな考え方を吸収する

ここまでは他人を肯定しまくったり自分をべた褒めしまくろうとは言ってきたけど、実際やってみようとしても褒め方がわからないことは往々にしてある。ただ冷静に考えると、世の中には実在する人にしろ創作上のキャラクターにしろ、実に沢山のポジティブが溢れかえっている。これらからポジティブ思考の使い方を学ぶことは大いに可能だ。

これについては本当に様々なやり方があるので、自分が日頃やっていることの周辺から学ぶ対象を見つけると良い。例えば自分が映画好きなら映画に出てくる底抜けに明るいキャラの考え方を真似るでもいいし、観ているテレビにナルシストキャラが出てきたらその人がどう自己肯定しているかを取り入れるでもいい。それらから吸収することで、肯定するための語彙を増やしていこう。英単語の語彙力が無ければ英語で満足に会話ができないように、ポジティブに考えるためにはポジティブの語彙力を伸ばすことが肝要だ。

ちなみに、僕自身はだいたい以下のものからポジティブとは何ぞやを学んだ。

・哲学関連の本

・ボディビル大会の掛け声

・飲みに行くポジティブな友人知人

・意識高い系のビジネスの人

哲学関連の本を読むのは長きにわたり語り継がれる思考のヒントを得る意味でとても有効だ。ボディビル大会の掛け声については、これはもうあらゆる語彙を駆使して褒めちぎるというもので、そこから「全力で褒める」という姿勢を学んだ。ポジティブな知人友人の話を聞くこともとても良くて、実際どんなふうに考えているかを生の対話で聞ける貴重な機会である。最後に意識高い系だが、そのビジネス自体の白黒はさておき、ああいう人たちは美辞麗句を並べて自分たちのビジネスに相手を引き込もうとする。美辞麗句を使うということは、彼らの放つ言葉には誰かをその気にさせてしまうほどに前向きな語彙の宝庫なのだ。ビジネスに乗る必要は微塵もないが、ポジティブを盗む相手としてはこれ以上のものはなかなかいないだろう。

こうしてポジティブの語彙を吸収して力を高めることで、ポジティブに考えるための材料を充実させていこう。

 

4. 肯定をアウトプットする

肯定する口実や肯定する語彙を蓄えたところで、次に行うべきは肯定を口に出すことだ。

例えば京大の試験に合格するほど英語の語彙も文法もばっちりでも、いざ話すとなると全くできないという人は結構いる。これは、語彙や文法で知識があっても、実際に会話したりしてアウトプットするという行為に慣れていないからだ。

肯定感に関しても同じことが言えて、いくら肯定する手段や口実を積み上げていても、実際に言葉にして肯定してみなければ、いつまで経ってもやり方は身につかない。

勿論他人と面と向かって「自分はすごいんだぞ!」と言うのは気恥ずかしい。なので、独り言でもいいから、例えば食器を洗った後に「食器洗った~~俺は偉い」と声に出して呟くことを是非やってみて欲しい。それを繰り返すことで、日常の小さな肯定の種も言葉の形に花を咲かすことができるようになるはずだ。

なお、これを実践する上で実は最も適したツールが有る。それは他ならぬTwitterだ。およそ140文字という短い制限のために大げさな美辞麗句を並べまくることは難しい一方で、ちょっとしたことに対してサクッと自分を褒めるにはうってつけのツールなのである。フォーマットとしては独り言みたいな感じになるし。

こうすることで、「肯定するきっかけを見つけて、その肯定を表現する」ことに慣れていくんだ。しんどそうに思えるかもしれないが、慣れれば案外難しくないんだ。これが。

 

 

おわりに:"ポジティブを演じる"ことを習慣化する

繰り返しになるけども、これまで挙げた4つの項目を実行するために、ネガティブな自分を殺す必要は一切ない。なので冷静になったときにふとネガティブ思考が戻ってきても落ち込まず、根気よく「ポジティブを演じること」に取り組んでほしい。

ポジティブを"演じる"だなんて…と思うかもしれないが、冷静に考えると、自分を演じることは実は無意識かつ日常的に行っている。気の知れた友達と忌憚なく話す時には"忌憚なく話す自分"を呼び出しているし、恋愛対象になるような相手と食事に行く時には"少しでも相手から良く見える自分"として振る舞うし、会社で上司と話すときには"会社の一員としての自分"として行動する。これを無理しなくても使い分けられるのは、これらのキャラクターを演じることが習慣化しているからなんだ。

だったら、この演じるリストに"物事をポジティブに捉える自分"を追加して、それも習慣化してしまえばいいんじゃないか。それによって無意識にポジティブな自分を呼び出すことができるようになり、ひいてはポジティブ思考を体得することにつながるのではないか。と、僕は思う。

また、本記事では「ネガティブな自分を殺す必要はない」と再三言っている。これは前述の理由はあるんだけど、実はそれ以上に「ネガティブという視点を持つこと」は重要なことだからなんだ。物事は多面的に捉えられるほど人はそれを正確に判断することができる。今まではポジティブの観点が大きく抜けていたとしても、ネガティブを殺さずにポジティブを手に入れることで、より多角的に物事を見られる人間に成長できるはずだ。それを実現した時、きっとあなたは今以上に素晴らしい人になっていることだろう。

 

最後に、この記事を読んだネガティブに悩む人が 「ポジティブ思考する自分」を自分の人格リストに加えて、少しでも前を向いて生きていく力を得られることを願う。

 

 

 

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あとがき

久々に5000字超えの記事を書いた気がする。あと久々にちゃんと思考や伝えたい内容を整理しながらブログ記事を書いた気がする。もしこれで読みにくかったらここが今の俺の文章力の限界だ。もっと成長していきたい。

しかしながら時間も体力も使うけど、思考を文章という形に成形して誰かの目に見える形で出力するのは楽しいね。そして実はこの記事を書くこと自体も、ポジティブシンキングをアウトプットする練習の一環だったりもする。

長々と書いたけど、この記事が誰かの助けや気付きに少しでも貢献したり、このアウトプットによって自分のポジティブ力が少しでも伸びていればいいなと思うばかり。

 

それでは今回はこの辺で。

比較を前提から取り払うこと(メモ書き)

※このブログは日頃文章にロクに触れていない人間が哲学を修めていないのに哲学っぽいことを語ったり心理学を修めていないのに人の行動心理っぽいことを語ったりする詭弁満載ファンタジーブログです。以下の「はじめに」を読んでご理解いただけた方のみ鼻でもほじりながら読んでください。

https://ttwa.hatenablog.com/entry/2019/09/04/210153

 

 

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思えば、誰かと比べては落ち込む人生を送っていた。

 

彼女がいない、コミュ障、男で157cmと背がずば抜けて低い、その癖さらにスタイルが悪い、世間の流行がわからんオタク、そんなだから自己肯定感がない、あらゆる理由を作っては"全うに生きている他人"と"そうではない自分"を比較して生きてきた。

22歳か23歳までは劣等感がたたって、UNIQLOやGUにすらも立ち入ることができなかった。一歩足を踏み入れた瞬間に、周りの笑い声がすべて”人と比べてスタイルがちんちくりんな自分をあざ笑う声”に聞こえてしまったからだ。これは最終的になんとか克服したし26歳になった今では考えすぎだと自分でも思うが、たった4年ほど前の自分は本気でそう感じていたのだ。

 

そうして「粗悪な自分」と「ちゃんとしている他人」を比べ続けて生きてきた。ひとつ否定し始めたらキリがないもので、どうしようもない見た目の話から少しは調整できるはずの精神的な側面まで、ありとあらゆる自分を否定するために、他人と比較し続けていた。きっと"こんな自分"を肯定することが怖かったんだと思う。そのために、ひたすら誰かや何かと比べて、自分を否定する手段を探し続けてきた。そうすることで安心したかった。自分が駄目な人間だという烙印を押すことで、「駄目な自分」を改善しないことを許そうとしていた。

 

あるときに、衝撃的な体験をした。詳細はいろいろな人のプライベートをほじくり返すので割愛するが、「"誰かの常識的には悪い部分"が人の心を救った話」に出くわしたのだ。今まで劣悪な自分を拒絶してより善い人に羨望を覚えていた自分にとって、「(本人が言うところの)悪性が人を救う」というのは、自分の矮小な価値観をぶち壊すには十分な出来事であった。

 

今までは誰かと、あるいは世間一般の常識と、とにかく常に何かと比較しながら自分の劣等性を見つめるのみだった。しかし、「常識的(これも厳密には語弊があるが)に見た悪性が人の救いになる」ことを目の当たりにしたとき、常識、つまり自分のなかにある"普通"の価値観で物事を判断することの愚かさを知ったのだ。この話を通して、例えば身長175cmが普通と言われる世界で身長157cmの自分は愚かだと考えるのがいかに無意味であるかというのを思い知らされたのだ。普通に該当しない自分を否定する正当性を手放すきっかけを得たのだった。

 

そこから自分は、できるだけ「他人と比較した自分の"悪さ"を見つめて落ち込むくらいなら、主観的にパーソナリティをとにかく育てよう」と思い始めた。つまり他人といちいち比較をせず、自分をただより良く成長させていくということだ。勿論成長するために必要な比較、つまり上司との知識のギャップを把握することとか、などは続けるべきだが、容姿とか劣等感とかこれまで生きてきた人生みたいな、比較したってどうにもならないことを考えないことにした。それを考える時間でユニクロGUのモデルでもなんでもいいからとにかくファッションのサイトを観たり、本を読んでみたり、Youtubeで料理でも何でも何か新しい知識を得てみたり、筋トレを始めてみたり、とにかく自分に対するインプットを考えて『誰とも比較せずひたすら自分を高めること』に注力することに努めた。

結果として、これは自分の人生を大きく変えたと思う。個人的な観点ではあるけど、自己否定はやはり「他者と比べること」によって起こる部分が非常に大きい。過去の失敗を責めるときでも、結局は「うまく立ち回った想像上の誰か」と自分を比べて落ち込む。あの時ああ言えばよかったと考えたときにイメージされる架空の誰か、架空の自分が比較対象になる。この比べることのしがらみから解き放たれることで、絶対的な自分の位置を見つめることができた。それによって、本当に自分が何を正すべきなのか、何を育てるべきか、どう考えてどう生きれば豊かな人生を送れるのかという糸口が、少しはつかめたんじゃないかと思う。

 

比べることで自分の位置を測ることは重要な手段の一つなのは明白だ。何も周りも見ずに「俺は俺だ~~~~!!!!!!!」と叫んだところで馬鹿だなぁと見えるのは火を見るより明らかだ。しかしながら、同時に常に誰かと比較するあまりに自分の絶対的立ち位置が見えずに「俺は……????」となることも、恐らく人生においては勿体ない。少なくとも今自分はそれをとても痛感している。

 

「何でもかんでも比べてしまう」ことを辞めることは人生を豊かにする第一歩だと、自分は信じてやまない。

 

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ここまでお読みいただきありがとうございます。この記事は頭でまとめる前に書き出したメモ書き文章なので、相当荒い文章だったことをここで陳謝。しかしながらもしこの考え方が少しでも誰かの救いになるのなら、これほど嬉しいことはありません。

そして、この気付きを与えてくれた友人は、本当に一生の恩人になると思う。本当にありがとう、見てくれてるかわからないけど。

 

 

 

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サボってたために数カ月ぶりに文章を書いたけど、2000文字程度書くだけでも労力使うことを思い知らされるわね… 文章でのアウトプットをしたいが故に始めたブログ、今後も少しずつ動かしていこうかしら。

 

本記事は以上です。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

note「呪いが解ける日」を読んで

※このブログは日頃文章にロクに触れていない人間が哲学を修めていないのに哲学っぽいことを語ったり心理学を修めていないのに人の行動心理っぽいことを語ったりする詭弁満載ファンタジーブログです。以下の「はじめに」を読んでご理解いただけた方のみ鼻でもほじりながら読んでください。

https://ttwa.hatenablog.com/entry/2019/09/04/210153

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どうも、TTWAです。

仕事の合間のタバコ休憩中、Twitterを見ているとこんな記事を見つけたんです。

note.com


これを読んだ瞬間、急に背筋が解きほぐされて指先まではっきりと血が巡るような、脳内にある霧がスッと晴れていくような、そんな気持ちになったんです。
あまりの衝撃に、しばらく仕事に身が入らなくなってしまった。それくらい思考的にいてもたってもいられない様子になったので、ここに備忘録的な感想を残します。当然のごとく上述記事を読んだ前提で話を進めるので、まだ読んでいない人は是非。

マジで言葉にできないような原初的な感覚を推敲せずに全部書いてます。とりとめがなくても許して。備忘録だもの。
また、今回は4150字程度の記事なっております。


○「呪い」ってなんだろう
記事にも書かれているある番組に寄せられた投稿では、母親の放った一言が「呪い」と表現されていました。
この「呪い」というものは一体どういうものなのでしょう。
この後の個人的感想を語るために個人的な呪いの定義を述べれば、生きる上で足枷のように歩みを邪魔する「呪い」というものは、例えば「固定観念」とか「トラウマ」といった言葉で表されるものだと思います。
職場の嫌な上司のような外力的な存在というよりは、内的に自らの動きを制限するようなものです。
実際にそこについている足枷というよりは、まさに足枷"のように"心の内側から纏わりついてくるものというイメージです。
これに対して、人々は日々目を逸らしてみたり、呪いにただ漠然と絶望してみたり、呪いを振り払おうと足掻いてみたりするわけです。
僕自身も程度の大きさはあれど僕のかかっている"呪い"に対して、日々恨み、怯え、もがきながら生きています。
特に最近は色々なきっかけでこの呪いに絶望する日々から、何とか抜け出そうと足掻いて、そのなかでずっと精神が苦しいという日々を過ごしていました。
そんな中でこの記事は、ものすごくシンプルで、そして力を持った一言で、たった一言で、この苦しみのなかに一筋の光を照らしたんです。


○シンプルで力を持った言葉とは
もととなった記事はすでに読まれたかと思いますが、その一言はまさに「これをもって呪いは解けたということで。」です。
これほどまでにシンプルで、優しくて、力強くて、温かい言葉は他にないんじゃないでしょうか。
心の底にずっとこびりついているこの呪いを、こうもたやすく溶かしてしまう言葉を僕は知りません。
何がいいって、これは個人的な感想なんですが、「呪いを消してしまう」ところなんですよね。
多くの場合は、ある呪いに対して「こう解決すればいいよ」だとか「そんな呪い気にしなきゃいい」と、関心を貫くにしろ無関心を貫くにしろ、「そこに呪いは確かに存在している」ということを黙認しているんです。
呪いから目をそらすのも、目をそらす対象がいるからこそできるわけで、無視しているだけで確かにそこにいるんです。
この「呪いがあること」そのものを否定して開放する点で、この博多大吉さんの一言は、ものすごい力を持っていると感じたのです。


○呪いをかけているのは誰?
人は過去に起こった様々な出来事に影響されて、呪いにかかるのではと思います。
例えば両親からの扱いであったり、いじめであったり、人間関係の失敗だったり、どうしようもないコンプレックスであったり。
そういった様々なことがキッカケで人は気を落ち込ませ、その落ち込みがいつしか呪いになっていくのだと思います。

しかしながら、呪いだと感じたその頃には、実はその状況を脱している場合がほとんどだったりします。
例えば中学生時代にいじめを受けていて大人になっても「自分は虐げられて生きる人生だ」と思っている人のことを考えましょう。
勿論その人の当時負った心の傷の深さが計り知れないものであり今でも蔑ろにしてはならないことは承前ですが、そのいじめられていた当時に気を落ち込ませた原因はまさにそこにいるいじめっ子からの迫害であったにしても、大人になった今そのような人はすでに身の回りから離れており、そこにはいない。
そうであるにもかかわらず、その経験はいつしか呪いに変容し、「お前はこのような人間だ」「お前は所詮この程度だ」と牙を剥いて私達に襲いかかってきます。
この「呪いへの変容」の正体は、僕が思うに、"私"の受け取り方や"私"の思考習慣にほかならないと思うのです。
言い換えると、その憎悪の種を蒔いた人間が離れてもなお自らを土壌に憎悪を育てる自分自身が、呪いをかけている人間の正体に思えてならないのです。


○呪いの正体と、「ことにする」ことの重要性
ここまでで述べたように、僕個人の意見ではありますが、呪いの正体というのはある事象に対して"私"が行う定義づけなのです。
外側から貼られたレッテルを丁寧に剥がれないように扱っているのは実は自分自身だったりするのです。
呪いというものは目の前にいじめっ子がいるという実像を伴った足枷ではなく、自分自身がついている"と思っている"虚像の足枷なのです。
これに気づかずにひたすら外側を恨み続ける人もいれば、これに気付いて自らを変えようともがき続ける人もいます。
しかし、この虚像の足枷から目をそらすにしろ直視して立ち向かうにしろ、何か呪いへのアクションを起こすには「呪いの足枷がそこにあること」を前提としなければなりません。
呪いから開放されたいのに、「呪いがそこにあること」を常に前提として置き続けなければならない。
呪いをかけるのは自分自身である以上、呪いを前提として呪いと共に動くことは、実は自らにより強く呪いをかけている行為に他ならない。
そういった自己矛盾というか、負のスパイラルのようなものが発生してしまいます。

このスパイラルを脱却する最強の手段こそが、今回出てきた「これをもって呪いは解けたということで」なのだと思っています。
「呪いから目をそらす」でも「呪いに立ち向かう」でもなく、「呪いは解けたということにする」。
それって目をそらすことと何が違うの?と思われるかもしれませんが、目をそらすのは呪いがいない方向を向くのに対して、「解けたことにする」のは自らの見る方向は変えずに目の前の呪いがいなくなったことにしている点で大きく違います。
目をそらしてもふと振り返れば呪いがいる、立ち向かっても目の前には呪いがいる、この問題を一気に「解けたことにする」ことで解決するこの一言は、なんとすごいことなのでしょう。
先程も述べたように呪いの正体は「今実際にある実像を伴った状況」ではなく「自分の内側から発生した虚像」である以上、現状を打破する方法は実像を壊すことではなくて虚像を打ち消すことです。
そしてその虚像は自分自身が内側から定義づけることで発生している以上、内側にある定義を塗り替えることでしか解決し得ないのです。
つまり、「呪いと戦う」のではなく「呪いは解けたと定義する」ことが、最もこの虚像を優しく取り除く最適な手段なのです。
その点で、この「呪いは解けたということにする」のはものすごいのです。

また、「解けたことにする」ことのもう一つのすごいところは、「決して呪いを否定しないこと」です。
一度呪いにかかっていた自分自身を受け止めて、呪いにかかっていた過去を否定せず、今の自分から呪いを取り去っていく力がこの言葉にはあります。
多くの場合、呪いへのカウンターアクションは呪いやそれを伴った自分自身を否定することを起点とします。
その結果、それが自己否定に結びついて自己肯定感を削いでしまったり気を病んでしまったりするのではと思います。
だからこそ、過去を否定せず優しく包み込んで、足枷を優しく外す「呪いは解けたということにする」という言葉はとても前向きに輝くのではと思います。


○おわりに
今回めちゃくちゃ衝動的にドバーーーーっと文章を書いたので、めちゃくちゃ支離滅裂な気がします。いつものことなのだろうけど。

最後にですが、「呪いは解けたことにする」というのは、自己の中で完結させるのはやはりとてもむずかしいものです。
なぜなら、解けたことにすることと直視しないことが混同してしまう可能性があるからです。
だからこそ、こういう時に「優しい他人」という存在が大切になるのだろうと思います。外側から貼り付けられたレッテルを剥がすには、やはり外側からの力を借りなければ難しい。
しっかりと呪いの方を向きながら、そうした身の回りの優しい手を借りて霧を晴らす。今回紹介した記事の博多大吉さん、あるいはそれを素晴らしい文章で拡散したnoteの著者さんは、その外側からの優しく強い力を持っているのだなとも思います。

自分の中にある呪いも、この「呪いは解けたということにする」という言葉を知ってこのブログ記事を書きながら思考を取り留めもなく綴ることで、「解けたことになった」のではないかと思います。
この呪いの霧が晴れた景色は想像以上にクリアで戸惑ってはいますが、この景色を忘れずこの景色を愛して生きていきたいと思うばかりです。
次は誰かの呪いを優しく取り除ける、そんな素敵な人間になれるように。