TTWAさんの思考成果物置き場

健やかな26歳男性が考えたことについて、ふんだんに主観と詭弁と出任せを交えて適当になぐり書きします。真に受けないでください。

比較を前提から取り払うこと(メモ書き)

※このブログは日頃文章にロクに触れていない人間が哲学を修めていないのに哲学っぽいことを語ったり心理学を修めていないのに人の行動心理っぽいことを語ったりする詭弁満載ファンタジーブログです。以下の「はじめに」を読んでご理解いただけた方のみ鼻でもほじりながら読んでください。

https://ttwa.hatenablog.com/entry/2019/09/04/210153

 

 

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思えば、誰かと比べては落ち込む人生を送っていた。

 

彼女がいない、コミュ障、男で157cmと背がずば抜けて低い、その癖さらにスタイルが悪い、世間の流行がわからんオタク、そんなだから自己肯定感がない、あらゆる理由を作っては"全うに生きている他人"と"そうではない自分"を比較して生きてきた。

22歳か23歳までは劣等感がたたって、UNIQLOやGUにすらも立ち入ることができなかった。一歩足を踏み入れた瞬間に、周りの笑い声がすべて”人と比べてスタイルがちんちくりんな自分をあざ笑う声”に聞こえてしまったからだ。これは最終的になんとか克服したし26歳になった今では考えすぎだと自分でも思うが、たった4年ほど前の自分は本気でそう感じていたのだ。

 

そうして「粗悪な自分」と「ちゃんとしている他人」を比べ続けて生きてきた。ひとつ否定し始めたらキリがないもので、どうしようもない見た目の話から少しは調整できるはずの精神的な側面まで、ありとあらゆる自分を否定するために、他人と比較し続けていた。きっと"こんな自分"を肯定することが怖かったんだと思う。そのために、ひたすら誰かや何かと比べて、自分を否定する手段を探し続けてきた。そうすることで安心したかった。自分が駄目な人間だという烙印を押すことで、「駄目な自分」を改善しないことを許そうとしていた。

 

あるときに、衝撃的な体験をした。詳細はいろいろな人のプライベートをほじくり返すので割愛するが、「"誰かの常識的には悪い部分"が人の心を救った話」に出くわしたのだ。今まで劣悪な自分を拒絶してより善い人に羨望を覚えていた自分にとって、「(本人が言うところの)悪性が人を救う」というのは、自分の矮小な価値観をぶち壊すには十分な出来事であった。

 

今までは誰かと、あるいは世間一般の常識と、とにかく常に何かと比較しながら自分の劣等性を見つめるのみだった。しかし、「常識的(これも厳密には語弊があるが)に見た悪性が人の救いになる」ことを目の当たりにしたとき、常識、つまり自分のなかにある"普通"の価値観で物事を判断することの愚かさを知ったのだ。この話を通して、例えば身長175cmが普通と言われる世界で身長157cmの自分は愚かだと考えるのがいかに無意味であるかというのを思い知らされたのだ。普通に該当しない自分を否定する正当性を手放すきっかけを得たのだった。

 

そこから自分は、できるだけ「他人と比較した自分の"悪さ"を見つめて落ち込むくらいなら、主観的にパーソナリティをとにかく育てよう」と思い始めた。つまり他人といちいち比較をせず、自分をただより良く成長させていくということだ。勿論成長するために必要な比較、つまり上司との知識のギャップを把握することとか、などは続けるべきだが、容姿とか劣等感とかこれまで生きてきた人生みたいな、比較したってどうにもならないことを考えないことにした。それを考える時間でユニクロGUのモデルでもなんでもいいからとにかくファッションのサイトを観たり、本を読んでみたり、Youtubeで料理でも何でも何か新しい知識を得てみたり、筋トレを始めてみたり、とにかく自分に対するインプットを考えて『誰とも比較せずひたすら自分を高めること』に注力することに努めた。

結果として、これは自分の人生を大きく変えたと思う。個人的な観点ではあるけど、自己否定はやはり「他者と比べること」によって起こる部分が非常に大きい。過去の失敗を責めるときでも、結局は「うまく立ち回った想像上の誰か」と自分を比べて落ち込む。あの時ああ言えばよかったと考えたときにイメージされる架空の誰か、架空の自分が比較対象になる。この比べることのしがらみから解き放たれることで、絶対的な自分の位置を見つめることができた。それによって、本当に自分が何を正すべきなのか、何を育てるべきか、どう考えてどう生きれば豊かな人生を送れるのかという糸口が、少しはつかめたんじゃないかと思う。

 

比べることで自分の位置を測ることは重要な手段の一つなのは明白だ。何も周りも見ずに「俺は俺だ~~~~!!!!!!!」と叫んだところで馬鹿だなぁと見えるのは火を見るより明らかだ。しかしながら、同時に常に誰かと比較するあまりに自分の絶対的立ち位置が見えずに「俺は……????」となることも、恐らく人生においては勿体ない。少なくとも今自分はそれをとても痛感している。

 

「何でもかんでも比べてしまう」ことを辞めることは人生を豊かにする第一歩だと、自分は信じてやまない。

 

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ここまでお読みいただきありがとうございます。この記事は頭でまとめる前に書き出したメモ書き文章なので、相当荒い文章だったことをここで陳謝。しかしながらもしこの考え方が少しでも誰かの救いになるのなら、これほど嬉しいことはありません。

そして、この気付きを与えてくれた友人は、本当に一生の恩人になると思う。本当にありがとう、見てくれてるかわからないけど。

 

 

 

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サボってたために数カ月ぶりに文章を書いたけど、2000文字程度書くだけでも労力使うことを思い知らされるわね… 文章でのアウトプットをしたいが故に始めたブログ、今後も少しずつ動かしていこうかしら。

 

本記事は以上です。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。