自分の理想像を書き殴るだけの回
※このブログは日頃文章にロクに触れていない人間が哲学を修めていないのに哲学っぽいことを語ったり心理学を修めていないのに人の行動心理っぽいことを語ったりする詭弁満載ファンタジーブログです。以下の「はじめに」を読んでご理解いただけた方のみ鼻でもほじりながら読んでください。
https://ttwa.hatenablog.com/entry/2019/09/04/210153
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
お久しぶりです、TTWAです。
最近色々キッカケがあって、自分はどういう人間でいたいんだろう、本当は自分はどんなことをしたいんだろうと考えることが多くなりました。
昔は大体手が空いた時には過去の自分の失敗を責め立てて現在以降を良くしたいという発想に至らなかったのでこれだけでもポジティブな進歩をしていると言えますが、とはいえ未来に目を向けたところでどこにピントを合わせてどういう画角で物事を見ようというのはなかなか決まってはいません。
そこで、自分の思考を整理するためにもブログ記事という長文が許されるフォーマットで、かつ他人に見られる分より整理することを余儀なくされるかたちで、最近思う自分の理想像を書きなぐっていきます。
完全に俺による俺のための俺の思考整理なので読みにくい文章になりますが、TTWAの脳内ちょっと覗いてみようかしらという方は、耳でもほじりながら読んでやってください。
結論は「おもろいほうへ」
一度しかない人生、カリカリして生きるよりもガハハって生きたほうがええやんという話。
世間には色々な生き方がある。足るを知るでほどほどに生きることが説かれたり、断捨離をしてミニマリストになってみたり、合理的思考で億を稼ぐ経営者になったり、友人仲間とときにはワルいこともしながら楽しんだり、誰かのヒモになったり、誰かをバキバキに養ったり、子どもが10人いたり、独身貴族を貫いたり…
それこそ梅田で200人とすれ違ったら200人分の生き方があるわけ。
自分の生き方なんていうのもそういう70億通りという途方も無いパターンのうちのひとつにすぎないんだ。決して誰かと同じものになるはずがないのに、周りと比べてふんぞり返ったりうじうじ卑下したりしているのは本当にもったいない。この70億あるにも関わらずオンリーワンな自分の生き方を、もっと良いものに磨くべきだ。
だから、自分は自分の人生を豊かにするために、常に「おもろいほうへ」というのをモットーにする。自分自身の人生をマネジメントする上で最も大事なことは主観的に良いと思うかどうか。主観的に良いというのはつまり「おもろい」ということ。常に新しいおもろさを常に求めて生きていきたい。
ここからは、自分が思う「おもろい人生」を実現するために心がけるべきと現時点で考えていることを列挙する。
まずは認めて、肯定しようとする
認めてこそ、前進することができる。
世の中には色々と理解できなかったり生理的に受け付けないような物事が沢山ある。
それらを目にしているうちに、新たな物事が目の前に現れたときについ懐疑的になり、表面だけ見て「これはダメだ」と一蹴してしまう癖がつく。
このやり方では、よく見ると人生を変えるほどの気付きがあったはずの物事に出会うチャンスを失うこととなってしまう。
何事にも学びは潜んでいるはず。まず出会ったものの存在を認めて、肯定することから始めよう。何事からも学ぶことはできる。「ここから学ぶことはない」という気づきも含めて。
そういう出会いと気付きを繰り返すことで前進することができ、人生はもっと豊かになるはずだ。
「Give&Give」の精神で生きる
「これまでの愛はGive&Takeだったが、見返りを求めるのはエゴであり、それだと人は成長できない。今はGive&Give。愛はあげればあげる程増えていくことに気付いた」
自分が好きなAwichというラッパーがインタビューで語った言葉。シーシャを吸いながらこのインタビューを読んで、稲妻のような衝撃が走ったのを今でも覚えている。
Takeを求めるということは、つまり損得勘定で物事を考えるということ。勿論商売などの利害が必要になるケースではそれを考えることも重要だけど、例えば友達などの利害で片付けられないような関係性では、Takeを求めること自体が、感情のゼロサムゲームを始める愚かな行為だと気付いた。
友愛、恋愛、親愛、親子愛、敬愛、自己愛… これらの愛情を見返りも求めずに与え続けられることは確実に人生をより良くするエッセンスだと思うし、何より愛を与えることは人間の社会的生命体としての本質ですらあると思っている。
Give&Giveで、ヒトの本質である愛を感じながら生きていると、絶対に「おもろい方へ」人生が向かっていくんじゃないかと、自分は信じている。
上述のAwichのインタビュー、とても良いので是非読んで、曲聴いてみてください。
波乱の人生を乗り越えた先の人間性にきっと惹かれるものがあるはず。
「楽」よりも「楽しい」へ
苦痛を伴っても、自分の信じた楽しい方へ。
同じ漢字が使われるから混在しがちだけど、「楽」と「楽しい」は全くの別物。
人生にある2択でよくあるのは「こっちの方がキツいけど楽しそう、でもあっちのがストレスが無くて楽そう」という状況。
こういうときについストレスが無いことを優先して、楽な方に流れてしまう。これは昨今のストレス社会の影響で「ストレスがない状態=楽しい状態」という等式が生まれてしまったことにも原因があるとは思う。だけど、俺は俺にこれだけ聞いておきたい。
「おもんない楽なだけの人生過ごして、死ぬときに満足できるか?」
死ぬときに満足するためには、現在を常に楽しくする。常に楽しい方へ。おもろい方へ。
常に「自分」を生きる
自分が死んだときに閉じる「自分の世界」をより良くするため、自分を生きていく。
過去にも書いたかもしれないけど、俺は「自分が死んだときに世界は崩壊する」と考えている。世界を認知する自分が消えるということは世界を認知する術がなくなる、認知できないものなど存在しないに等しい、だから死ぬ時は世界が終わる時。
だからこそ、自分だけの世界を最高のものにするために、決して自分に嘘を付かずに、ときに常識や世間とぶつかってでも、自分の信じた道を生きていく。
老衰でも事故でも殺害でも、いつか自分が死ぬ瞬間に「俺は俺の人生を生きた、その点に後悔はない」と思える人生こそが、自分を生きて、自分という生命を燃やして、生きられた証左になるのではないだろうか。
答え合わせは死ぬときになるけど、そのときが来たときに、例え誰かに刺し殺されても笑顔で幕を閉じられるように。精一杯自分を貫いていく。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
えーっと。
書いて思ったんやけど、内容すっくな!!!!(笑)
でも書いてみて改めて気付いたけど、日頃あーだこーだ言葉を並べて長文ツイート連発したりしとるけど、根幹で思っていることは想像以上にシンプルなんやね。
考え込みがちな性格だからつい単純なものに無駄なものをつけて飾り立ててしまうけど、結局虚飾を剥がした先にあるものはこんなもんよ。こんなもん。
だからこそ、シンプルになった根幹をもっと太く立派に育てられるように、そして最後にそれを眺めてほくそ笑んで死ねるように、「おもろい方へ」生きていきましょう。
あと数週間後にコレを見て「言うてるだけで何も実現できてないやんけ!」と言うであろう俺に一言。
できないからこうやって理想掲げてどうにかしようともがいとんねん。ゴール目指す人間を馬鹿にするやつに限って自分はゴールに向かって歩いてすらいない奴らやからな。お前はそれになるな。ゴールに向かう自分を、ゴールを探す自分を常に応援してやってくれ。頼んだで。
今回は以上です。ではまた。