日記 2022/2/22
極めて個人的な日記です。
端的に言えば、祖母が他界しました。
今日のことは忘れたくなかったので、今のうちに文章に。
こんな最初の記事がショーパブ行ったレポのブログで申し訳ないなと思いつつ。
ここしかな、親戚の目が届かずに長文書ける場所がありませんのや。
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2022年2月22日、11時58分。
昼飯を食べ終え、昼から出社予定のため支度をしている最中に母からLINEが来た。
「ばあちゃんの容態がよくない、今日会えるのが最後かもしれない。」
祖母は昨年末から入院しており、ご時世の都合もあり面会にも行けずではあったが、いつもの検査入院とあまりに様子が違っていたので覚悟はしていた。
急いで上司に連絡をして午後半休を取得し、自転車を漕いで病院へ向かう。
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13時前くらい。
たまたま病院の下で会った兄とともに病棟へ。
待合には祖父と母がおり、妹は面会中らしい。
ご時世もあって一人ひとり交代で面会していくシステムになっていたため、先に来ていた妹が待合に戻ると同時に看護師さんに連れられ病室に向かった。
今まで見たことがないくらい色々なケーブルを繋がれた祖母は目を瞑り、苦しそうに息をしていたが、まだその手は僕よりも温かく、生命を感じるものだった。
ケーブルが集まるバイタルモニターからアラートが鳴ってびっくりしてナースコールのボタンを押す。
看護師さんは「アラートが鳴ってしまうギリギリのレベルではあるがまだ安定はしていますよ」と、優しくアラートを止めてくれた。
「元気になってな、飯作ったるからな。」
「そういや3日前にばあちゃんが夢に出てきたよ。ろれつの回らん声で『私はもうあかんから』だなんて不安にさせてきて。ソレは怒るで!(笑)」
苦しそうに息をする祖母に明るい声色を意識しながら色々と語りかけた。
こっそりと祖母とのツーショットを自撮りした。
さぁそろそろ交代して兄の番だと呼び出しボタンを押す。
それと同時にバイタルモニターからまたアラートが鳴った。
帰り際にバイタルの何かよくわからない白い数値がどんどん下がっていく様子に胸騒ぎを覚えた。
兄と交代する前に2分くらい、「医者に少し見てもらいますね」と空白の時間が空いた。
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13時8分くらい。
兄が母と祖父とともに病室に向かった。
一人ずつのはずなのに。
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13時10分くらい。
伯父さんが病院に着いた。
受付に向かう伯父さん。あんなに早く歩く伯父さんは初めて見た。
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13時12分くらい。
待合で待機していた妹と僕が呼び出された。
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13時14分くらい。
病室に行くと、母が泣きながら祖母に声をかけていた。
病室にいる親戚一同泣いていた。
祖母だけはあんぐりと口を開けて眠っていた。
バイタルの数字は0だった。
手を握ると、さっき感じた生命の温かさが消えていく途中だった。
「よく頑張ったね、ありがとうね。」
ありきたりだったけど、聞こえるように声を大きくして語りかけた。
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13時20分くらい。
伯母夫婦が病室に着いた。
「お母さん」「お義母さん」と手を握って泣いていた。
快活で冗談ばかり言う伯母と義伯父が泣いているところを多分、17年くらい前の伯母の結婚式以来初めて見た。
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13時26分。
お医者さんが診察を始めた。
聴診器を当て、目を開いて瞳孔を確認した。
そして、お医者さんが「13時26分、逝去されました。」と告げた。
皆嗚咽を漏らして泣き、お医者さんと看護師さんにお世話になりましたと告げた。
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13時29分。
その後の様々なプロセスのため、親戚一同は待合室に。
早速祖父と母と伯父と伯母は葬儀の話に追われている。
僕はというと、ふと「上司に連絡しなきゃ」と冷静になり、スマートフォンからチャットで「祖母が逝去しました。葬儀等の詳細が決まりましたら忌引休暇等のご連絡をいたします。」と連絡を入れた。
冷静だったと言うよりは、祖母が亡くなったという悲しみがキャパシティーを越えて、感情がオーバーフローして逆に何も感じていないかのようだった。
ふと気付くと兄も「会社に電話せなあかんなぁ」とごちていた。
まだ大学生の妹は「週末のバイトどうしようか」と呟いていた。
大好きな祖母を亡くしたときに仕事のことを考えるなんて、この三兄妹も大人になったんだなぁと思った。
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14時57分。
時世柄もあり大人数で待合に長居することはできないということで、孫3人は早々に解散した。
唯一一人暮らしの僕は兄妹とは別方向に自転車を漕いで自宅に戻り、タバコを買いに行って一服し、一緒に買った麦茶を飲みながらこの日記をつけている。
祖母のことを思い出してみる。
調理場で働いていた経験もあり料理が上手だったこと。
チーズ入りの丸っこいウインナーをいつも焼いてくれたこと。
裁縫名人で色んな小物を作っていたこと。
十数年前、セカンドライフを謳歌する矢先にパーキンソン病にかかったこと。
中高大と部活で忙しくて、ほとんど顔を見せられなかったこと。
ばあちゃんの料理の中でも大根とお豆腐の煮物が好きだったこと。
もう10年以上おばあちゃんの料理を食べていなかったこと。
久しぶりにおばあちゃんを見たら、元気だった頃のふくよかさがどこにも無くなっていて衝撃を受けたこと。
どんどん体が思うように動かせなくなる中でも裁縫名人の手先の器用さは健在で、リハビリがてら小さなキューピーちゃんの服を大量にこしらえて、家中が服を着たキューピーちゃんだらけになっていたこと。
体は動かなくなっていっても頭はいつもキレキレで、食欲も旺盛だったこと。
行く度に「あんたがちっちゃい頃に大熱出してなぁ、頭から湯気が出てなぁ」と言っていたこと。
一度たまたまSNSを見ていて女の子の写真が画面に映った時、目ざとく見つけたおばあちゃんが「その女の子誰や、彼女か」と極めて真顔で言ってきたこと。
去年の11月、車椅子から介護ベッドにうつるのに何分もかかるくらい衰弱しきっていたこと。
それでもやっぱり、優しく見つめるまなざしは変わらなかったこと。
こうして文章にしてみる中で頭が整理されてきたらしい。
感情のキャパオーバーが少し治まって、逆に涙が止まらなくなってきた。
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15時8分。
涙が落ち着いた。
案外すぐ落ち着ける自分にも驚くが、それは覚悟できていたからなのか、まだ現実を受け止められていないのか。
多分今日は1時間おきには色々思い出して涙を流すんだろう。
そして葬儀を経て、少しずつ祖母の死という現実を受け止めていくのだろう。
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最後に。本当に私信。
ばあちゃん、よう頑張ったな。今まで本当にお疲れ様。
コンピューターのことはからっきしだろうけど、今は自由になった体で、多分この文章を書いている姿を後ろからこっそり覗き込んでると思います。
いつも気にかけてくれてありがとう。大好きです。
ゆっくりおやすみ。
ほんじゃ。