TTWAさんの思考成果物置き場

健やかな26歳男性が考えたことについて、ふんだんに主観と詭弁と出任せを交えて適当になぐり書きします。真に受けないでください。

ショーパブに行った25歳童貞が愛について考える回

※このブログは日頃文章にロクに触れていない人間が哲学を修めていないのに哲学っぽいことを語ったり心理学を修めていないのに人の行動心理っぽいことを語ったりする詭弁満載ファンタジーブログです。以下の「はじめに」を読んでご理解いただけた方のみ鼻でもほじりながら読んでください。

https://ttwa.hatenablog.com/entry/2019/09/04/210153

 

 

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久々に文章というものをしたためます。どうもTTWAです。

恐らくここを見に来てくださった方の大半は僕のTwitterから飛んできていると思いますが、色々と事情があってちょっと名前が違います。まぁ深い意味はないのでここではこう名乗っている、それだけ理解して見てくだされば。

 

さて、初回は今日僕が仕事中暇すぎて「愛」についてつらつらと考えたことを書き留めたいと思います。

愛と一口に言っても様々な愛が世の中にはあります。親愛、友愛、敬愛など…そういった多くのカテゴリの「愛」から、今回は「性愛」を軸に話を進めていきたいと思います。

しょっぱなからエロネタかい!!!!!と思うかもしれないですが、しょっぱなからエロネタきっかけの思考です。諦めてください。えっちなのはいけないと思います!!!の人は今すぐブラウザバックかスマホ電源落とすかしてシコって良い夢見てください。

 

さぁそろそろ前置きに飽きたので本題を書いていきましょう。

ちなみにふわふわ考えていたことなので結論らしいものはありませんが、先に強く思ったことを書いておくと、「性的サービス店で働く女の子マジですげぇ」です。よろしくお願いします。

 

 

○序文

つい先日の土曜日、知人の結婚式の3次会が終わった22時半くらいのこと。

共に式に参加していたとても面倒見が良い遊び人の先輩が僕に「おいお前このあと暇か?遊ぼうや」と、僕を引っ張ってタクシーに乗せ、運転手に一言「桜川までお願いします」。夜の桜川といえば、女の子遊びが好きな方には有名なショーパブだらけのビルがあります。ていうか夜の桜川なんてそれくらいしかありません。

そこで僕は、コレを書いている現時点で25歳童貞の僕は、人生で初めての"女の子の店"を体験したのです。

1万円を払って入場し、際どい衣装に身を包んだ(もはや包んでいないくらいだが)女の子にぱふぱふで代わる代わる挨拶をされ、ある時間帯では1000円払ってフルーツの口移しと胸揉みを堪能し、n千円払えばn分間奥の薄暗い空間のソファで二人でいちゃいちゃ…

金を払えばという条件こそあれど、イケメンも禿げたおっさんも等しく金を払って女の子に欲をむき出しにしている狂気の世界に、僕はひどく衝撃をうけました。というよりは、むしろ後に述べるように感銘をうけたと言ったほうが正しいかもしれません。

多分1日で7,8人くらいの女の子とキスをした25歳童貞の脳裏にはその後暫くその衝撃と光景が焼き付いて離れないわけなのですが、そこで偶然にも過去に同じ店に行ったことがあるという哲学専攻の友人が、ある風俗店のレポ記事で述べたこの一言を思い出したのです。

 

『アーティストはその詩の中でよく女の子を買うことを「愛を買う」と表現しますが、まさにそこにはお買い上げした「愛」がありました。それが刹那的であれ、世間一般に不純であれ、確かに感じたのです。 ── ゆがみちゃん

 

 

○性愛は最も強力な愛の形である

「愛」というものにも様々なカテゴリがあります。先程にも述べたような親愛、友愛、敬愛、そして性愛といったものがそれです。僕はこのなかで性愛こそが最も人間にとっての根源的な愛であると考えています。なぜなら、知能や思考力を手に入れた人間の持つ多くの社会的な愛と異なり、最も生物的な、言い換えれば本能的な、愛情であるからです。

人は他の大抵の動物と同じく、ずっと飯を食べないではいられないように、ずっと起きてはいられないように、性欲に関しても切っても切り離せない立ち位置にあります。もちろん精神的なショックで性に向き合えなかったり欲を断ち切るために性をシャットアウトする人もおりますが、大多数はどこかで性と向き合い、食欲や睡眠欲と同様なこの生き物としてのどうしようもない欲求に振り回されながら生きています。それほどに根源的な生き物の"性"にまつわる"愛"だからこそ、"性愛"はあらゆる愛の中で最も単純で、そして最も強力な愛情だと僕は考えています。

ここで、性欲と性愛を区別するものは何であるか?という疑問がおこります。強姦などの望まぬセックスもまた強力な愛情なのか?という声が聞こえてくる気がします。

僕が考えるには、その答えはNOです。なぜなら「愛」は、これは敬愛や友愛や親愛もそうですが、誰かにポジティブな効果を"与える"ことによって成り立つものであるからです。強姦や乱暴な性行為をする人にとっては性的行為は自らの欲を消化する行為にすぎず、決してそれは誰かにポジティブを与えるものではないからです。そんな奴は性器もげろ。

こういった一歩踏み外せば欲の消化に成り下がる性的行為を愛のステージに押し上げているという点も、性愛の持つ「欲を包含した愛情」という強力な性質を表しているように思います。

 

 

○最も偉大な"愛"を与える存在

ここまでで僕は「愛は与えるものである」「最も強力な愛は性愛である」と述べました。しかしながら、こんなことを言うと「俺は世界中の女を愛しているぜ」というキザな男たちが大量に現れ、愛の名の下に性欲のバーゲンセールを開始することでしょう。ちんこもげろ。

もちろん男性が与える性愛というのも愛情と欲を包含したものでありますが、ここで注意したい点は「そもそも生き物的に男性は性を振りまく存在である」という点です。

学説的な解説は微塵も読んだことがないのでどっかで聴いた話を受け売りする形で語りますが、一般的に雄という個体の本能は「たくさんの雌に種付して子孫を残すぞ~~」となっているため、数多くの個体に愛を与えることができるというのはある意味当然なのです。むしろその本心は「愛の名の下に種付をしたいだけ」なのかもしれません。脳みそちんちんかよ。もげろ。

では、女性はどうか?この雄の持つ本能と対比させると女性の持つ本能は「大量に寄ってくる雄から優秀な雄を、すなわち愛を与える対象を厳選する」と考えることができます。

もちろんTwitterで裏垢などを見れば男女問わず「抱きてぇ~~~(抱かれてぇ~~~~)」と性欲を呟くのを見ることができますが、多くの男がそりゃ美人良スタイルに越したことはないにせよそこそこ広い範囲で不特定多数の女性を指して言うのに対し、女性の多くはこの発言の前に(好きな人に)とか(イケメンに)とか(ちんちん大きい人に)とかの優秀と感じる相手を暗に置いているのではと思います。ハイパー偏見ですが少なくとも今まで見たことある人のうちの大多数はそんな感じです。統計的にどうとかは知らん、僕はそう思っているだけです。

しかしそれは、雄と雌がそれぞれに持つ本能の違いを考えると致し方ないというか、むしろこういう差が生まれるほうが自然なのです。

 

しかし、その中でも例外的で愛の化身とも言えるような存在があります。

ここで序文の話に戻りましょう。僕はショーパブでお金を払ったうえではあるものの7,8人くらいの女の子とキスをしました。その女の子たちは、勿論それが仕事なので当然と言えばそうですが、25年童貞をしてきた冴えない男の前でも嫌な顔ひとつせず、むしろ積極的とも言える態度で僕に接し、フルーツ越しや暗がりのソファで何度もキスをしたのです。この中に、僕は確かに「愛」を見たのです。友人の言葉を借りると『お買い上げした「愛」』が、確かにそこにはあったのです。

そして僕は、本来相手を厳選する本能をもつはずの女性があのビルの一室にひしめき合う男たちに等しく接する姿に、最も偉大な"愛"を与える存在を見たのです。

 

 

○ショーパブで得られるものは「愛」なのか?

ここまでの文章を見ると、ただ25歳まで童貞をこじらせた人がショーパブで骨抜きにされた話じゃねぇかと思う方もいるかと思います。実際そうだったりもします。

ここで、そう思う人の多くの理由は「ショーパブのキスは金を払って得たサービスであり、愛ではない」と断じるからでしょう。しかし、本当にそうでしょうか。愛というものは、金を払って対価として得られないものなのでしょうか。

ここで、お笑いや演劇を鑑賞するときのことを考えてみましょう。舞台に立つ芸人や役者は、舞台上である程度の台本が用意されたなかで面白いことを言ったり、悲しいセリフを叫んだりします。そのとき、私達観衆はこういった作り込まれた面白さや悲しさに共感し、胸を打たれ、笑ったり涙を流したりします。

これを思うと、僕にとって、ショーパブでキャストによって作り込まれ与えられた性愛に共感し股間から我慢の涙を流すことは、どうもある一つの「愛」に感じてならないのです。

お笑い芸人が舞台の上で不特定多数の観衆に面白さを与えるように、役者が悲しさを与えるように、彼女たちはショーパブという舞台の上で不特定多数の飢えた観衆たちに「愛」を与えていると言えるような気がしてならないのです。

 

 

○愛の本質

これらを踏まえて、愛の本質について考えたいと思います。

愛に関わる言葉のひとつに"無償の愛"という言葉があります。これは、「見返りを求めることなく誰かに施しを与えてより良い状態に導くこと」と解釈することができます。そうじゃないよと言う人もいるかもしれませんが知らん。この解釈が正しいものとしていきます。

ここで、無償の愛という言葉を"無償の"と"愛"に区切って考えることで愛の本質が見えるのではないかと思います。先ほどの無償の愛の意味を考えますと、"無償の"が指すところは「見返りを求めることなく」となります。ということは、愛の表すものというのは「誰かに施しを与えてより良い状態に導くこと」に他ならないのです。

これは、愛情という言葉を分解することでも成立すると思います。

情を文字通り"気持ち"と訳せば、愛情が意味するところは「施しを与えてより良い状態に導きたいという気持ち」になります。恐らくこの愛情の意味に対する解釈は、大抵の人が納得できるところだと思います。みんな納得したということにして話を進めます。

いくらか前に僕は愛について「誰かにポジティブな効果を"与える"ことによって成り立つ」と書きました。そして僕はショーパブで女の子たちから、偉大な"愛"を与える存在から、たしかに唇や肌を通してポジティブな気持ちを与えられたのです。これが「愛」と言わずして何と形容すればよいのでしょう。言うなれば有償の愛です。

大抵の人は「無償の愛以外は愛じゃない」と思うのでしょうが、僕はこのとき初めて、金を払って得られる愛があること、有償の愛もひとつの愛の形であること、そして有償無償に関わらずそこにある「愛の本質」を理解した気になったのです。

 

 

○"愛を与える"ということ

本記事では性愛を軸に愛についてそれっぽいことを論じましたが、ここで語った愛の本質というものは、性愛だけでなくあらゆる愛情に対して通用するものであると考えています。例えば家族愛をとっても、家族という対象に対する施し(それは家事をすることだったり、子供がした失敗を許すことだったり)を与え家族をより良い状態に導く様子を描いているものです。あるいは音楽愛に溢れた人は好きな音楽を好きであるだけでなく、誰かに布教したりあるいはライブに足を運んだりして、業界が盛り上がるように動いていくでしょう。

こうした愛の本質の中で最も重要なことは、「相手をより良い状態に導くこと」「相手にポジティブな効果を与えること」です。愛を与えることで相手が良い状態になるという相互作用が肝要です。

例えばカップルが喧嘩をしたときに女性が「こんなに私はあなたを愛しているのに!」と泣き叫んでいる光景を考えましょう。ここでは勿論男性の感受性が低く女性の愛に気づいていないという悲しい出来事が起こっていると想像できますが、一方で「彼女の与えた愛は決して男性をより良い状態にし、ポジティブな効果を与えることができなかった」と捉えることもできます。つまり、彼女が男性を愛したのは間違いないにしても、本質的な愛を与えることはできていなかったのです。

愛の本質を理解し、本当に愛を伝えたいのであれば、必ず愛は「私の思う形」から「相手にハマる形」に変質するはずです。一方でそれができていないのであれば、「愛を与えているつもり」であっても、結局は「愛を与える自分、相手に愛される自分」のために行為しているにすぎないのです。

そういう意味では、ショーパブや風俗で得られるものはある種の「プロの愛」と言えるでしょう。客の望む形に愛を変質させ、性愛を与えることで相手をポジティブな気持ちにさせる。これほどにまで本質的な「愛」を理解し、それを匠に操る人は他にいないと言ってもいいのではないでしょうか。

愛の相互作用を考える上で有用かもしれない思考のひとつとして、最近読んでいる哲学の本のなかで紹介されていた、18世紀のプロイセン王国(ドイツ)で活躍した、高校倫理の教科書にも出てくる偉大な哲学者イマヌエル・カントの一言を紹介します。

『あなた自身や、そのほかのすべての人の人格の内にある人間性を、単なる手段としてのみ扱うのではなく、つねに同時に目的として扱うように、行為せよ。』

勿論この一言は愛のために述べられたものではないと思いますし、彼のような偉大な哲学者をこんな記事に引用するなと世界中のカント研究者から罵詈雑言が飛んできそうです。こんなふ゛ろく゛にまし゛になっちゃってと゛うするの。

しかしながら、この一言を本記事で述べた愛の本質に適用するならば、ショーパブのキャストや風俗で働く女の子ほどの、"愛に飢えた客という人間性"を"単に稼ぐ手段"としてのみ扱うでなく、同時に"相手を悦ばせるために最適な形に愛を変質させて与える"ように行為する存在は他にいないのではと思います。

我々が愛情とは何かを考える上で、彼女らのような「愛するプロ」に学ぶべきところは多くあるのかもしれません。

 

 

○最後に

このショーパブでの経験は僕に「愛」とは何かを考えさせるもので、非常に強いインパクトを与えるものでした。

また、彼女らの唇やおっぱいの柔らかさもまた、僕の"僕"に非常に強いインパクトを与えるものでした。

 

夜の桜川、もう一度行きたいぜ。

 

 

 

[引用元]

ゆがみちゃん, "ゆがんだエンターテインメント 【R18】ちょっとアレな話その①" 

yugami-entertainment.hatenablog.com

彼の類稀なる文才から発揮されるアホな風俗レポは一見の価値ありです。

ぜひ御覧ください。